ホーバクの思い出・4私が妊娠したのが、1998年の6月。同年の2月から牛を飼い始めた。 今では健作さんが世話をしているが、そのときは私も牛小屋の掃除、餌やり等をしていた。 本当は絶対安静といわれていたから、やらない方が良かったのだが・・。 姑は私にじっとしているから駄目なんだと何度も言ってきた。 「じっとしているから元気が出ないんだ、少しは動きなさい」 つわりも相変わらず続いていた9月、4ヶ月に入った頃である。 何日か前、うしの出産があった。 予定日よりずい分早めに生まれたのと、母牛が子牛に乳をやらないせいで 私が哺乳瓶でミルクを飲ませることになった。 2~3時間おきに子牛にミルクを飲ませたり、 それより3ヶ月前に子牛を産んだ母牛の乳を飲ませるべく奮闘した。 子牛は他の母牛に蹴られたのが原因で、結局生後5日後に死んでしまった。 私は子牛の世話でぐったり疲れてしまった。 おなかの子供のことを考えると少しでも横になって休みたかった。 が、それを許容する姑ではない。 子牛の世話をした私を見て「もう動いても大丈夫なのだ」とでも思ったのか? 必要最低限の家事しかしない私を見て、嫌味を言ってきた。 近所の方が、牛にあげるようにさつま芋のつるを下さった。 それを姑は私に牛小屋まで運べと言ってきた。 さつま芋のつるってひとかたまりなのだ。 それを私に運べと言う。 姑は続けて言った。 「家族って紋は協力しなくちゃいけないんだ。 私だって腰が痛いがこうやって動いているじゃないか。妊娠は病気じゃないんだ。」 姑は私が切迫流産だと言うことを知っているはずなのに・・・。 これまで、何度も怒鳴られ怒られていたので、姑の言うことをきいた。 つるを持ち上げる時、下腹部に鈍い衝撃が走った。 その夜、私は夕飯を食べる気がしなかった。 そして、健作さんが夕飯を食べ終わると同時に車で20分程の日本人のお姉さんの家に向かった。 仲良くしてもらっているお姉さんで私が時々遊びに行っていた。 車の中で私は健作さんに昼の出来事を話した。 「どうしてお母さんの言うことを聞くんだ?」 健作さんが怒り出した。 「だって仕方が無いじゃない、怒るんだよ。お母さん。 家事を協力しろとか何とか言って。」 「おなかの子供になんかあったらどうするんだ?」 健作さんの言葉を聞きながら、私は下腹部に違和感を覚えた。 何か、尿が漏れているような温かい物が噴き出しているような感じ。 頻尿にはまだ早い時期なんだけど・・・。 お姉さんの家に着いたとき私は先ずトイレを拝借することにした。 下着を下ろし、私は凍りついた。 尿が漏れたのでもなんでもない。 それは鮮血であった。 続きはコチラ |