ホーバクの思い出・7普通どおりの生活。私はシオモニに受け入れてもらいたいばかりに無理をした。 シオモニは普通どおりの生活ときいたからには私を働かせようとした。 こんなことがあった。 うちはその年から牛を飼い始めた。 毎年秋には、牛の餌用の藁を準備する。 健作さんについていき、藁をまとめる作業を手伝った。 次の日、私はくたびれて横になっていた。 その日に限って雨が降った。 その当時、家で食べる唐辛子などは自分のうちで栽培していたのだが 収穫後、庭に干していた唐辛子が雨にぬれたと、かなり叱られた。 私は身動き取れないほど疲れていたのに・・・・。 姑は近所に遊びに行くほど元気だったのに。 こんなこともあった。 妊婦に必要な栄養を取りたくても取れなかった。 たまに、イシモチを蒸して出すと姑は健作さんと自分の前に置いて、私には食べさせてくれない。 「お前は白菜キムチを食べてればいいんだよ」 イシモチを一度に蒸した姑はそれを炊飯ジャーに入れて保存する。 私としては、食べる時、そのつど蒸して温めたがいいのではと思うのだが、 常に温かく保存したいらしいのだ。 ご飯にもニオイは移るし、イシモチもだんだん乾燥してくる。 三日ぐらいすると干からび、くさくて食べられない状態になる。 その時点で、私に「食べなさい、もったいないから」と寄越すのだ。 残飯を寄越された気分。屈辱的だった。 見かねた健作さんが「卵でも・・・」と買ってきた。 それがまた、姑の気に入らない。 「こんなの買ってきて、家計が傾く」 と騒がれた。 「これでお腹にいるのが娘だったらどうなることか今にみていろ」 と、言われて私が泣くのをみて、健作さんがまたキレた。 買ってきた卵を投げつけたり健作さんも荒れた。 後にまた、私が姑に詫びた。 姑がひたすら恐かった。 文句を言われないように過ごすのが、そのときの私にはすべてだった。 部屋に戻れば毎日、泣いていた。 続きはコチラ |