ホーバクの思い出・10次の日。病院に向かった。 医者は診察するなり、アイゴーの一言。 そして保護者を呼んでくださいと言った。 健作さんが看護婦に呼ばれて診察室に入ってきた。 医者はこう言った。 「子宮口は全開していて、産むしかなくなった。 まだ子供は小さいのであきらめるしかない。」 「子供は今も生きているのにあきらめろって言うんですか?」 「仕方がありません。今のままなら、外に出した時点で死んでしまう」 そして私は陣痛室に連れて行かれた。 「先生の手が空き次第処置をしますからね。」 と看護婦に言われ、いつ破水してもいい様にパッドをあててもらった。 電話もない陣痛室に一人寝かされてとても不安になった。 このまま子供と分かれてしまうのだろうか・・・ 昼食が運ばれてきた。 子供が死んでしまうというのに食事が喉を通るだろうか。 ほとんど残してしまった。 健作さんが一度やってきて、「まだ産むなよ。絶対助けるんだからな」 と言ってきた。 一度、破膜されそうになったが健作さんが来るまでは待っててほしいとかたくなに拒んだ。 夜になり、健作さんは漢方薬などを買い込んで来た。 子宮が弱い人がこの薬を飲んで臨月まで持ちこたえたんだとか。 見ると兄嫁さんも来ていた。 大学病院などに移送して子供を助けられないかと訊いてくれていた。 医者は「大学病院に行っても無駄だ」と言った。 私は子宮頚管無力症と言われた。 だから4ヶ月の時、流産しかけたのだと。 お腹の子供は小さいので、インキュベーターに入っても死ぬのは時間の問題だとも言われた。 私の頭はグルグルしだした。 今更そんな事言うのだったら、どうしてもっと早く内診して調べてくれなかったの? そういう思いでいっぱいだった。 医者の誤診もあったのかもしれない。 それが明らかになるのが怖くて、医者は大学病院に連れて行っても無駄だと言ったのかもしれない。 もしかして、大学病院に連れて行ったら、助かったのかもしれない。 今でもそういう思いがわく時がある。 でも、そのときの私は疲れ切っていたのかもしれない。 何かから逃れたかったのかもしれない。 続きはコチラ ジャンル別一覧
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