ホーバクの思い出・11結局は私があきらめてしまった。健作さんは最後まであきらめようとしなかった。 健作さんは子供を最後まで助けたがっていた。 大学病院とか大きい病院に、私を連れて行こうと思っていた。 でも病院に行く途中で子供が生まれてしまったらとか考えると、私は動けなかった。 1998年12月9日、9時。私は分娩台に上がった。 大学病院にいかず、子供をあきらめてしまった私だった。 破膜させたとき、子宮からホーバクの両足がでていたと後から聞いた。 小さいにもかかわらず子供はなかなか出てこなかった。 最後は看護婦がお腹を押して子供を取り出した。 人目だけでも子供の姿を見たかったが、かなわなかった。 健作さんは廊下をはさんだ病室で待っていた。 私が病室に戻ると健作さんは言った。 「補聴器のボリュームを最大にしていたんだ・・・。 ホーバクの産声・・・・最初で最後の産声・・・が聞けるかもしれないと思って でもお前の叫び声しか聞けなかった。」 私は健作さんにすがって泣いた。 今思えば私は姑との確執の中で少しおかしかったのかもしれない。 ホーバクがいなくなったからと言って姑との関係がどうなるわけでもないのに。 何かに終止符を打ちたかった。 そういう思いがあったのだ。 次の日、即退院。 退院するときに健作さんが言った。 「この世を見ることなくホーバクはあの世に行っちまったな。」 「・・・うん。」 帰ると、姑が泣きはらした顔で私を迎えた。 台所にはネギの根を煎じた鍋が置かれていた。 早産の気があるときに飲むといいのだと 健作さんが本で調べて姑に煎じさせておいたのだった。 早産も産後には変わりないということで、ワカメスープを姑に飲まされた。 続きはコチラ ジャンル別一覧
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