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『インサイド・ディープ・スロート』(上映中:富山松竹)を観てきました。 1972年にニューヨークで公開されたポルノ映画『ディープ・スロート』が、当時の社会にどんな波紋を広げ、監督・スタッフ・キャストたちは何をして何を考えたのかをリポートしたドキュメンタリー映画です。当時は性の解放や反体制の流れが生まれ始めた頃で、ジェラルド・ダミアーノ監督も映画そのものの出来はともかくとして、そういった反骨精神を持って撮ったことを語っています。しかし、このドキュメンタリー映画を観るにあたって、『ディープ・スロート』自体を観ていないのは、何とも自分自身が中途半端でした。で、観終わってから劇場の人にもらった資料によりますと、「性生活に満足できない女性が医師を訪ねたところ、本来あるべきところにクリ○リスがなく、喉の奥にあるからだと診断される。医師は喉の奥にペ○スをくわえるように勧める…」という、つまりはフェ○チオ映画だったのですね。部分的に流れていた映像からは、コミカルな雰囲気も伝わってくるし、今なら結構楽しく観られるのではないでしょうか。というか、観てみたい…。日本でも大幅にカット・編集されて、1975年に上映されたそうです。 性表現については革命的だと思っていたアメリカが実はそうでもなかったことは、『愛のためのキンゼイ・リポート』などで理解していましたが、『ディープ・スロート』が社会問題になるということは、アメリカは一つのことに両極端に意見を持つ人が大勢存在している国だということなのでしょうね。ただ、今これを映画の題材として取り上げるには、いささか色あせた感じはしました。『~キンゼイ・リポート』を観たときは、「性に限らず、物の考え方には正しい間違いがあるのではなく、多数派と少数派があるだけだ…」みたいな感想を持ったのですが、この映画で素直に感じたことは、結局、人って今も昔もSEXに興味があるんだよなぁということでした。でも、別にそれでも良いんじゃないかなとも思います。自然ですよ。だから大ヒットしたのです。抑圧からの解放とか、体制への批判精神とかそんなこともあるのでしょうが、好きなんですよ基本的に。 最近は日本映画でも映倫の判断が厳しくて、僕は性描写を理由にR指定を付けることに反対している(特に具体的な運動をしているわけではありませんが…)のですが、『ディープ・スロート』は政府を動かし、ワイセツに関する法律を厳しいものに変えさせました。そのぐらい衝撃的な作品だったのでしょう。今まで無かったものを世に送り出すことは、アダルトだろうが子供の物だろうが、大いなる価値がありますね。この映画を批判した人へのインタビューも行われていて、ドキュメンタリー作品としての公平感はあるのですが、僕は何だか全体的に物足りなさを感じました。大島渚さんじゃないけれど、「ワイセツはなぜ悪いのか?」という追求(というか考察?)が欠けていたように思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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