映画 『ソウル・サーファー』
『ソウル・サーファー』(6/9~:TOHOシネマズファボーレ富山)公式サイト:http://disney-studio.jp/movies/soulsurfer/ハワイ・カウアイ島に暮らすべサニー・ハミルトンは、父・母・二人の兄全員がサーファーという中で育ち、自身もプロサーファーを目指す13歳の少女。親友にも恵まれ、地方コンテストで優勝するなど順風満帆・・・のはずだったが、ある日、次のコンテストの練習中、サメに左腕を食いちぎられてしまった・・・。***(多少のネタバレあります)***********************************************これも実話を基にした物語です。エンドロールでモデルとなったべサニー本人や家族の姿が映されているので、『幸せへのキセキ』より、より史実に近い脚本になっていたかもしれません。べサニーさんご本人が本作でサーフィンのスタントをなさっているそうです。もの凄く稚拙な表現ですが、とても勇気づけられる作品でした。サメに腕を食いちぎられて一命を取りとめた時、医師はそれだけで奇跡だと言いました。そして、べサニーは一ヵ月後にサーファーとして海に入っていきます。彼女には「もうサーフィンは出来ない」という思いは最初からありませんでした。もう、この時点で凄いというか、素敵というか、尊敬してしまうというか・・・。で、家族もトップサーファーだから、止めるなんてことはしないんですね。とにかく、この時点で彼女に対するLOVE度120%ですわ。年甲斐もなく・・・。僕、数年前に気がついたんですけど、尊敬から恋心が芽生えるタイプだったんですね。そういうのって女性に多いって聞いたことありますけど、僕は何なんでしょう?・・・って、すいません、話がそれました。べサニーは腕を失って、サーフィンは諦めていませんでしたが、恋は諦めていました。こんな腕になってしまった女の子を好きになる男の子はいない・・・みたいなことを言います。そんなことないに決まってるんですけどね。あんなに輝こうとしてるのに・・・。あの時、お母さんがかけてくれた言葉は、慰めじゃなくて、本当のことなのになぁ。とにかく、べサニーは凄い子なんです。この時、まだ13歳です。ところが、以前のようには波に乗ることは出来ません。当たり前です。この時、彼女は初めて挫折を味わいました。でも、それは左腕を失ったからではありません。いや、もちろん、腕を失うことは想像を絶する苦しみと悲しみであることは確かです。が、彼女の場合は、左腕を失ってしまったことそのものよりも、そのことで思うように波に乗れなくなったことで心が折れてしまったんです。つまり、べサニーにはサーフィンが全てだったんですね。彼女の母は夫(べサニーの父)との会話の中で、「サーフィン以外のこともさせていかないと生きていけなくなる」みたいなことを言いました。「◎◎一筋」っていう生き方は格好良くて憧れるけど、そういう生き方をしてると、その◎◎を失った時、どうなってしまうのか・・・てことですね。お母さん、その前の男の子の話もそうですけど、サーファーとしての波乗りだけでなく、人生の波乗りとしても強いんです。いや、お父さんも、お兄さんも、親友も、みんな素敵な人たちばかりなんですけど。べサニーはあつい信仰心を持っていて、女性伝道師サラとの関係も重要なポイントです。というか、この映画の本質は、実はサラの幾つかの言葉の中にあるような気さえしてきます。べサニーは一度はサーフィンを諦め、その時、サラたちとタイのプーケットに行きました。スマトラ島沖地震の被災者の慰問です。そこでべサニーは立ち直るきっかけをつかみます。彼女は被災者の話を聞いて涙を流し、その場を離れようとします。その時、サラがべサニーにかけた言葉が心に残りました。さすがにこれは書けないなぁ。この映画はべサニー自身の生き方や家族愛などが描かれていることはもちろんですが、神様が与える試練と、それを乗り越える人間の力・・・といったような、宗教観とは言わないまでも、そういう感じのものもテーマになっているのだろうと思います。当然ですが、サーフィンのシーンも見どころの一つです。俳優やスタントが実際に波に乗っているシーンもあれば、VFXを使ったシーンもあります。VFXはべサニーの片腕を描く(消す?)ことでも駆使されています。そうか、今はそういう映像の作り方もできるんですね。時代ですね。