また幼い命が奪われた
神戸で6歳の男児が虐待の上、殺されてキャリーバッグに詰められて草むらに捨てられた。この種の事件が起きる度に、尊い命を何故救えなかったか?ということが問題になる。虐待の事実は近所で目撃されているし、役所も接触しているのにどうして救えなかったのか?そこには、最近の世相が反映しているように思う。即ち、近隣の付き合いが希薄だということだ。お互いに干渉するのも、されるのも煩わしいと考える人が多いということだ。その上、個人情報保護の風潮がそれに輪を掛ける結果になっている。今回のケースでも虐待の事実を近所の人が見ているのに、見るだけでそれ以上は踏み込んでいない。役所の方も事実を掴んでいながら、手を打っていない。そんな狭間で起きた事件である。行政は独居老人や通学児童の見守りなど、地域のことは地域で解決せよというが、その地域の実態が「隣は何をする人ぞ」では絵に描いた餅になることを知るべきだ。また、役所の方も担当者が2,3年で人事異動で替わるから、長い目で家族を観察するようなことが出来ていない。こんなことを云っている間にも悲劇が繰り返されている。