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感動写真日記 侍大将まこべえが行く

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Oct 13, 2005
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カテゴリ:旅の記録
先月、広島県の竹原港から呉港まで、瀬戸内海を船で旅する機会に恵まれました。
旅といっても、仕事を兼ねての行動ですから、のんびり船旅とはいきません。

それでも、さすがに瀬戸内海です。
陸から見る海とは、また違った表情を見せて楽しませてくれました。

そこで、このときの船旅のスケッチを、これから数回にわけて紹介することにしましょう。

まずは、早朝、6時50分の竹原の内港桟橋の風景です。


竹原内港桟橋


7時10分発の契島(ちぎりしま)に向かうフェリーが出航時刻を待っています。

契島は、竹原の南、およそ20分のところにあり、東邦亜鉛の主力工場である精錬所によって占められています。
このためこのフェリーは、もっぱら通勤客用です。


瀬戸内海の朝日各地の島を結ぶフェリーの乗り場は、内港桟橋から500メートルほど南になります。

ここからは大崎上島・大崎上島・愛媛県今治市の波方に向けて、多くのフェリーが発着しています。

この日も、3隻のフェリーが出航時刻を待っていました。

それを横に見ながら、一路、大久野島(おおくのじま)をめざします。

大久野島は、忠海(ただのうみ)の沖合3キロのところにあります。

したがって呉とは反対方向なのですが、今回、船をチャーターしてくださったFさんとご学友が乗船されるため、そのお迎えです。







朝日を浴びながら、潮の流れに乗って進むと、まもなく、正面に大久野島が見えてきました。
いま、午前7時13分です。


大久野島


この島は、アジア太平洋戦争中は、地図から消されていました。

陸軍の造兵廠火工廠忠海兵器製作所(1929年竣工)があり、毒ガスを製造していたからです。

その種類は、皮膚や粘膜を破壊して死亡させるイペリット(きい1号)、呼吸器系統に障害を起こさせて窒息させるホスゲン(あお1号)、眼に灼熱的な刺激をあたえる催涙ガスのクロロアセトフェノン(みどり1号)など7種類に及んだといいます。

それぞれの毒ガスに、「きい」「あお」「みどり」といった色の呼び方がついていたのは、毒ガスとしての存在を隠すためでした。

そして、その工場の存在を隠すため、大久野島も地図から消されてしまったのです。

その生産量は、敗戦の1945年まで、およそ6616トン。

生産された毒ガスは、催涙ガスなどは、忠海兵器製造所でタンクや缶に入れて保管されたほか、放射筒・砲弾・投下弾に装填されました。

また、イペリット・ホスゲンなどは、北九州市(当時は企救郡曾根村)にあった陸軍の造兵廠曾根製造所に運ばれて、砲弾・爆弾に注入されまた。

こうして生産された毒ガス弾の総生産量は、およそ207万4000発。

それらは、中国各地の日本軍に送り届けられました。

そして、日中戦争がはじまる1937年から使用され、1939年からは、その使用も日常化していきます。

さらに、アジア太平洋戦争がはじまると、イギリス軍やアメリカ軍の一部に対しても使用されました。

こうして、1930年代から第二次世界大戦にかけて、日本軍は、戦場で継続的に毒ガスを使用しました。

これほど継続的に戦場で毒ガスを使用したのは、日本軍だけでした。

いまは、こうした過去の歴史を消し去るかのように、大久野島には、国民休暇村が建設され、多くの観光客で賑わっています。

しかし、この島で毒ガスが製造され、多くの中国人に対して使用されたこと。
そして製造に携わった人のなかにも犠牲者が出たこと。
さらに、敗戦後、その毒ガスを中国に遺棄したため、いまなお中国では被害者を出ていること。

こうした歴史の事実は、大久野島の毒ガス工場の存在とともに、ながく記憶しておかなければならないでしょう。

なお、大久野島の戦争遺跡に関しては、毒ガス島歴史研究所のHPを参照してください(赤文字をクリックすればサイトにとびます)。

また、日本軍の毒ガスに関しては、吉見義明『毒ガス戦と日本軍』岩波書店(2004年)が参考になります。
関心のあるかたは、一読をお勧めします。



大久野島を出航すれば、いよいよ呉をめざして、瀬戸内海クルーズのはじまりです。

右手に、小早川警固衆(水軍)の基地のひとつだった忠海の賀儀城をみながら、これから一路、蒲刈をめざします。


蒲刈の瀬戸へ





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Last updated  Oct 14, 2005 06:27:56 PM
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