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カテゴリ:旅の記録
江田島の第一術科学校の敷地内には、戦時中の兵器も展示されています。 そのなかのひとつ、戦艦「陸奥」の4番砲塔がグラウンドの彼方に見えます。 ![]() 戦艦に搭載された世界最大の大砲といえば、戦艦「大和」・「武蔵」の口径46センチ砲が有名ですが、それ以前は、40センチ砲が世界最大の大砲でした。 その巨砲を連装で最初に搭載したのが戦艦「長門」であり、その2番艦として、大正10年に誕生したのが、この「陸奥」でした。 その巨砲(正式名称は「四五口径三年式四十糎砲」)から発射された砲弾は、なんと30000メートルもの飛距離があります。 ところが、「陸奥」は、昭和18年6月8日、アメリカ艦隊に対して、ただの一度も主砲を撃つことなく、瀬戸内海の柱島付近で、大爆発を起こし、沈没してしまいました。 爆発から沈没まで、わずか1分前後という短さだったため、生存者は、わずか353名、死者・行方不明者は、1121名にも及びました。 大爆発の原因は、三番砲塔に搭載してあった対空用三式弾が爆発したためという説が有力ですが、なぜ三式弾が爆発したのか、その理由は、いまだに謎につつまれています。 昭和45年には、三番砲塔や四番砲塔、また艦首などが引き揚げられ、各地で展示されています。 しかし、ここ江田島にある砲塔は、このときに引き揚げられたものではありません。 実は、陸奥は、昭和9年から横須賀工廠において大改造がおこなわれ、そのなかで、主砲の仰角を、30度から43度にあげるために、砲塔をまるごと交換していたのです。 このとき交換して陸揚げされた砲塔のうち、4番砲塔が、翌年、江田島の兵学校に教材として移設されました。 こうして4番砲塔は、奇跡的に残ったのです。 しかも、主砲の全体をみられる唯一の遺構です。 是非、近くでその大きさを実感したかったのですが、訓練場に近いこともあり、教務のある平日は、近づくことができません。 このため、遠くからの観察になってしまい、たいへん残念です。 それでも訓練生の大きさと比較して、その大きさがよくわかります。 なお、教務がお休みの休日は、間近で見学が可能です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 8, 2005 11:36:56 PM
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