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カテゴリ:育児
八月某日、墓地の草取りをする。
この時期、取っても取っても終わらないので、何日もかけて取る。 夏休みの長女とよこが、意外にも積極的に手伝おうとする。 実際に手伝うのは最初だけで、後はだんごむしを観察してたりするんだけど、まあその気持ちが嬉しい。 私「あ、蝉が死んでる」 とよこ「ほんとだー。かわいそう、かわいそう」 なんだか知らんが「かわいそう」を連発する。 私「かわいそうって言ってるけど、生きてるもんは皆死ぬんだよ。 ママもとよこもいつか死ぬんだよ」 と「えーやだーー」 私「やだって言ってもしょうがない。生まれてきたとだけん。多分ママのほうが先に死ぬよ」 と「えーやだーーー。私も死ぬー。ママと一緒に死ぬーーー」 私「そんなこと言うもんじゃない」 と「やだやだやだーーー。ママと同じ日に死ぬーーーー。ね、一緒に死のう」 こうまで言われて、私は何も言えなくなってしまった。 駄目だよ死ぬなんて、というのが正解なのかわからなくなってしまった。 金属バットじゃなくて、豆腐100丁くらいで頭を殴られたような衝撃。じわじわくる感じ。 6歳児にとって、母がいなくなる現実は想像しようのないものだし それならば共に死にたいと思うのもわからなくはない。 死はこういうもの、生とはこういうもの、という母なりの解釈を説明したところで 6歳児の「母がいなくなる未来」の恐怖を取り除くことができるか、自信がない、 というか、「それでも死ぬー」と言われたら、どうしたらいいのかわからない。 切るカードが全くない。 あれから何日か経って、パソコンの前にいる今も、 あの時なんと言えばよかったのかわからない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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