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ご縁があって、20年前に上海へ留学していた方とお知り合いになった。
今は、残留孤児の日本での支援活動をしておられる。残留孤児の一人一人の物語も、現実にドラマ以上の物語が展開しているようです。想像はしていたが、現実、まだ、戦争の犠牲を背負っておられるのだと思うと、言葉がない。 お聞きしたことを、生半可で、ここに書くことはやめよう。 彼の20年前の上海感動物語は、今の上海どころでは、ないいろんなハプニング続出だったようだ。 今からでも、書いて本にしてよなんてね。 兌換券の両替で、地元上海人の友人が3人も傍にいて、巧妙な手口で、すっかり騙されてしまって、少なく受け取ってしまった! 上海人も、目をこらして見ていたが、みんな全然わからなかったとか? 今は、その両替人とは友達で、行ったり来たりしているとか。 列車に乗って、硬座の切符をとって香港へ行ったらしい、そのときに、スリにあって、帰りの切符を取られてしまった。 当時、切符を買うのは、外国人といえども至難の業だったらしい。どうしても切符がとれないので、駅の窓口が「車内で車掌に言って買えばいい」と言われたが、車掌から買おうと思っている人が沢山いて、車掌に近づくことすら出来なかったとか、連結のところで、窮屈に座って、30何時間かかって上海へ帰った話とか・・ 上海留学時に、今の奥さんと知り合って、結婚ということになったらしいが、上海人の奥さんの両親が、猛反対だった。 戦争で中国人をいじめた日本へ嫁にいったら、いじめられるよとか、上海人の男性は料理が上手だし、やさしいが、日本人男性は「おしん」でも分かるように、偉そうにしてるよ、苦労するよとか、ご主人が、奥さんの両親に会いに家へ行っても、お父さんは、わざと外出したりとか・・ 当時、娘を日本へ嫁に出すなんて、親としては、不安でいっぱいだったろう。 普通、娘を嫁がせるだけでも、両親は、感傷てきになるのに、娘の相手が、日本人とは・・・気持ちがわかるような気がする。 いまは、二人の子供にも恵まれて、妹も日本人と結婚して、幸せに過ごしている。 自分の知らない話を聞くことは、うれしいものだ。 手には、私の「上海庶民生活事情」をしっかりと持ってくださった。 また、改めて読みかえすのだと言ってくださる。ありがたいことだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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