2004/04/15(木)18:27
20年前に上海へ留学
ご縁があって、20年前に上海へ留学していた方とお知り合いになった。
今は、残留孤児の日本での支援活動をしておられる。残留孤児の一人一人の物語も、現実にドラマ以上の物語が展開しているようです。想像はしていたが、現実、まだ、戦争の犠牲を背負っておられるのだと思うと、言葉がない。
お聞きしたことを、生半可で、ここに書くことはやめよう。
彼の20年前の上海感動物語は、今の上海どころでは、ないいろんなハプニング続出だったようだ。
今からでも、書いて本にしてよなんてね。
兌換券の両替で、地元上海人の友人が3人も傍にいて、巧妙な手口で、すっかり騙されてしまって、少なく受け取ってしまった!
上海人も、目をこらして見ていたが、みんな全然わからなかったとか?
今は、その両替人とは友達で、行ったり来たりしているとか。
列車に乗って、硬座の切符をとって香港へ行ったらしい、そのときに、スリにあって、帰りの切符を取られてしまった。
当時、切符を買うのは、外国人といえども至難の業だったらしい。どうしても切符がとれないので、駅の窓口が「車内で車掌に言って買えばいい」と言われたが、車掌から買おうと思っている人が沢山いて、車掌に近づくことすら出来なかったとか、連結のところで、窮屈に座って、30何時間かかって上海へ帰った話とか・・
上海留学時に、今の奥さんと知り合って、結婚ということになったらしいが、上海人の奥さんの両親が、猛反対だった。
戦争で中国人をいじめた日本へ嫁にいったら、いじめられるよとか、上海人の男性は料理が上手だし、やさしいが、日本人男性は「おしん」でも分かるように、偉そうにしてるよ、苦労するよとか、ご主人が、奥さんの両親に会いに家へ行っても、お父さんは、わざと外出したりとか・・
当時、娘を日本へ嫁に出すなんて、親としては、不安でいっぱいだったろう。
普通、娘を嫁がせるだけでも、両親は、感傷てきになるのに、娘の相手が、日本人とは・・・気持ちがわかるような気がする。
いまは、二人の子供にも恵まれて、妹も日本人と結婚して、幸せに過ごしている。
自分の知らない話を聞くことは、うれしいものだ。
手には、私の「上海庶民生活事情」をしっかりと持ってくださった。
また、改めて読みかえすのだと言ってくださる。ありがたいことだ。