初めての二風谷(Day 4)、最終日は札幌へ
2008年10月22日(水)。昨晩、マルコに頼まれたため、早起きしてリコーダーの練習に付き合いました。今日は1日授業のため、早目に出勤して、研究室の掃除をするつもりです。 ここ数日、母校(学部時代)の同級生の招きで来月単発で行う予定の後輩向けの研究報告を作っています。この友人は、10年ほど前、マルが奨学金を得てフィリピンに留学していたとき、わざわざダバオ市まで会いに来てくれました。そこで、今回はそのときに友人が来てくれた低所得者居住区の住民の暮らしがこの10年間でどのように変化したのか報告します。 そこで、この10年間に撮ってきた写真を使うことにしました。マルはだいたい年に2回調査地に行くので、ある1年について前半と後半でスライドを1枚ずつ使います。スライド1枚当たり4枚の写真を配し、キャプションを付してみました。 こうして時系列に調査地の景観と人びとの暮らしの写真を並べてみると、マルがこれまで見逃していたような変化もよくわかるものですね。普段は、どうしてもそのとき目前に迫っている研究報告や論文に追われてしまい、過去に撮影してきた写真に改めて目を通すということはほとんどありませんでした。 映像資料の面白さ、そして同じ調査地での定点観測の大切さを改めて認識する作業となりました。 二風谷再訪ももう来週に迫っています。昨日、凛子さんにも指摘されてしまったように、マルの体調はやや疲労気味(ダバオ緊急往復のせいというよりも、このところ複数の研究系仕事に取り組んでいてそのどれもが大切で面白いため熱に浮かされたようになっていて寝不足。ヘンに興奮しないで落ち着いて研究できるようになりたいものです)。 右目も手も調子がいまいちなので、二風谷で大量筆記的な「調査」をするつもりは、いまや完全にゼロになりました。マルとしてはこれをむしろ前向きに受け止め、風澤さんや七澤さんのお話にしっかりと耳を傾けながら、今回はいつもよりも意識的に様々な写真を撮ってみようかな、と思っています。 なお、前回も写真はそれなりに撮っています。事前に、ペルーの友人サロメから、「先住民? ペルーでは写真は撮れないことも多いのよ。日本の先住民は、いまどんな暮らしをしているのかしら? マル、その人たちが許してくれるなら写真を撮って送ってね」と頼まれていたからです(実際、今年の3月に訪問したメキシコ市でも、マルの友人が調査してきたオトミーの人びとに会いましたが、写真は一切撮れませんでした)。 以下、前回の二風谷訪問、最終日の行動メモをアップしておきます。これで「初めての二風谷」シリーズは、いったん完結です。 DAY FOUR (8/11/2008) 最終日 4:45 起床 5:30 自室で読書(民宿のマンガ文庫から『生徒諸君!』) *マンガ文庫は風澤さんがお子さんに以前買ってあげた作品のコレクション。 *『はだしのゲン』、『ドカベン』などが揃っていました。 6:00 全員揃って朝食(薬味たっぷりの和食) 6:50 民宿「小さな家」の前でお父さん、お母さん、お兄さんと全員で記念撮影 *1枚目はおすまし顔で。 *2枚目はファニー顔で(お父さんが脇腹を擽るなどして盛り上げました)。 7:00 御礼を述べてバス停へ出発 7:20 「二風谷小学校前」のバス停から高速バスに乗車 *料金2千円強は、後払い。 *マルも学生もほぼ全員眠ってしまいました。 *途中のバス停で乗ってくる地元出身らしい若者はみな礼儀正しく、マルの隣に座るにも一言挨拶、降りる際にも一言挨拶という調子でした。ここは東京に比べてうんと人間の数は少ないのですが、かえって触れ合いの濃度は高く感じられました。 9:30 JR札幌駅に到着、解散して自由行動 *計画時にはなかったことですが、学生の行動力を信頼して任せました。 *学生は自然に複数のグループに分かれました。荷物は駅のコインロッカーへ。 *小樽組、白い恋人パーク組、すすきの組などなど。 *マルは、学生がこの自由行動を決定した昨日急遽、マル母(北海道出身)を通じて札幌にいる伯父(ユタカさん)と会うことにしていました。10:00 ユタカさん、ノリコさん、ショウダさんと札幌駅前の佐藤水産で合流 *ユタカさんは昔大変真面目に働いていましたが、いろいろあって離婚、アル中になり、いまはもう70歳近くの高齢者で生活保護を受けて暮らしています。 *ノリコさんはマル母とユタカさんの従妹です。ノリコさんのご主人がショウダさんで、この夫妻が経営しているアパートにユタカさんは暮らしています。 *ショウダさんはタクシー運転手です。この日、タクシー会社はお休みで、自家用車を出してくださいました。それをマルは2万円で借り上げて、ユタカさん、ノリコさんと一緒に半日、札幌近郊観光をお願いしたのでした。11:00 小樽到着 *運河を散歩 *「さか栄」のさつま揚げをごちそうになりました。12:30 銭函などを通りつつ札幌に戻り、ドライブ *「トリトン」(回転寿司)がどこも満員でなかなか昼食場所が決められません。14:00 西友の食品売り場へ * 車中で食べたかに寿司もなかなか美味しかったです。 * その後、支笏湖方面を回りながら新千歳空港へ向かいました。 * 支笏湖はまるで海のように壮大でしたが、マルはこのとき疲れと満腹から非常に眠 く、頑張って会話を続け、景色を見ようと努めるという風になってしまいました。15:40 新千歳空港到着 * ショウダさん、ノリコさん、ユタカさんにお礼を述べて別れました。16:00 学生と合流、搭乗時刻まで自由行動 * 佐藤水産で炙り鮭の押し寿司など「空弁」を帰宅後の夕食用に買いました。 * 帰りのフライトで息抜きに読む新書を3冊ほど購入(タイトル忘れました)。 * 時間があったため、空港内のインターネット・カフェでメールをチェック。17:30 新千歳空港を出発19:00 羽田空港に到着 * 学生1名と一緒に京急バスに急いで乗車。 * 入院中で同行できなかった学生の分のお土産を確認(携帯電話は便利)20:20頃 藤沢駅到着 * 学生と別れて小田急江の島線へ。21:00前 自宅到着 *ノリコさんにお礼の電話を入れました。マルが気になったこと 事前の研修旅行計画になかったのですが、学生の自主的な動きで最終日に札幌に立ち寄ったことは、マルにとってもいくつかの点でよい経験となりました。 ひとつは、生活保護で暮らしている元アル中の伯父、ユタカさんに数年ぶりに再会できたことです。姪として伯父に会うことが嬉しいという個人的な感情もさることながら、これまで外国(「開発途上国」)の「貧困」研究ばかりに携わってきた身ながら、やはり日本国内の「貧困」も気になるので、そのひとつの大変身近な事例としてユタカさんに対峙するという意味もあります。 伯父の生き方をバカにする人は多いです。他人だけではなく、身内にも少なくありません。伯父の存在を事実上「抹殺」している親戚もいるほどです。実際、マルの母方の祖父母も伯父(「期待」を背負った「長男」だったそうです)を愛してはいたのでしょうが、「ダメだ」と見限っていたところがあるのは否定できません。 だけど、マルにはこの伯父の存在が貴重に思われるのです。伯父のいいところは、生活保護で暮らそうがまったく堂々としていて、どこか突き抜けたような明るさがあるところです。伯父の身近で伯父の暮らしを支えてくれる「他人」だって結構な数います(行政から隣人まで)。伯父は自分のことを不幸とか幸せとかとくにいちいち考えてないと思います。ただ、「まっとう」に生きているだけで、それでいいし、それがいいのです。 だから、伯父のような人間がだれかにバカにされたり、その存在を否定されたりすると、マルは自分自身がとても傷ついてしまうように感じます。 伯父さんの生き方だって、マル(○)なんだよ、と小さな声でつぶやきます(本当は大声で叫びたいくらいです)。 もうひとつ、札幌に行ってよかったことは、北海道都市部に暮らす和人の叔母ノリコさんからみた「アイヌ」イメージというものをリアルに感じることができたことです。 「え? マルちゃん、アイヌのところに行っていたの?」(ネガティヴな応答) 「ギョウジャニンニクや鹿肉食べたの? いやだ~、くさい~」(ネガティブな応答) ノリコさんの発言や表情からは、明らかに「アイヌ」に対して差別的で侮蔑的な態度をもっていることがわかります。 ここでノリコさんを責めることがナンセンスなことは、マルが言うまでもないでしょう。ノリコさんがいまもなおこのように発言するという事実から、ノリコさんが組み込まれてきた社会構造(地元の、あるいは日本の、などなど)やそれをもたらしてきた歴史などに冷静に想いを馳せることが大切だ、とマルには改めて思われました。 だいたい、マルなんか、今回、二風谷を(偶然に!)訪問するまでは、アイヌを差別したり、持ち上げたりするどころではなく、事実上、アイヌの存在を知らなかったといってよいほど無知だったのですから。ときとして、無知は罪です。マルだってここから自分の一歩を始めるしかないのです。 二風谷に行くことができて本当によかった。札幌に寄れて本当によかった。ダバオで調査してきて本当によかった。ありがとうございます。