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テーマ:つぶやき(12583)
カテゴリ:ひとりごと
あれから、30年。
もう30年。。。 まだ30年。。。 それは、人それぞれの感じ方。 けれど、もう?って時と、まだ?って思う時が混在する。 話そうか迷った。自分の事… 友達と待ち合わせした場所。映画を観た映画館。 ランチやお茶、買い物をしたお店… その日は、何が起こってるかわからなくて、ただただ ヘリコプターの飛行が多いな。近いな。大きな音だな…と。 まさか、思い出の場所が、潰れ、無くなってしまっただなんて 思ってもなかった。。。 段々、状況が想像できるようになり、友達に電話するも どこにも繋がらない。そう、今の様に携帯電話が普及してなくて固定電話。 私は、幸いというか、たまたま、携帯電話を持っていたけれど 全く、役に立たなかった。。。 玄関のドアがドンドン! …うわ〜っつ!! 涙。。。 友達が、近所のパン屋さんに有ったパンを持って 来てくれ、抱き合って、思い切り2人で泣いた。 床を片付けてたので、うちに入ってもらい 頭には、座布団を被りながら、一緒に友達の安否確認をはじめた。 やっと繋がった友。まだ、わからない友… 日が経って、友達の友達の友達から、無事の連絡を取り付けたり。 私は、西に引っ越す事になった。とても罪悪感があったのも事実。 けれど、既に、守るべき者が居たので、苦渋の選択。 約18年、怖くて行けない時間が続いた。 行こうと思うと、呼吸が乱れ、血の気が引く様になってしまっていた。 が、どうしても行かなければいけない状況がうまれ 紹介状を持って、元町近辺の専門病院に行く事に。 奇しくもその日、鎮魂の為に始まった、ルミナリエの点灯式の日だった。 きらびやかなライトアップとは、真逆の気持ちで、ぼんやりと 「これを自分の目で見るのは、最初で最後かな…」と思った。 隣の夫の、ギュッと握った手に力が入った。。。 私じゃなく、夫が泣いてるのがわかった。 私は、泣けなかった。 どうやって帰ろうってなったか覚えていない。 預けていた、子どもを迎えに行って、家に帰る。 実家の親が、子どもにご飯を食べさせてくれてたのが、有り難かった。 それから、否が応でも、元町近辺の病院に、行かなければいけなくなり、今に至る。 私は、今も、生きている。生かしてもらっている。 やっぱり、未だに、思い出の場所には、行けない所もある。 正確に言うと、全く変わってしまっていると、何とか行ける。 それも、薬は飲まないと、動悸がして、過呼吸になる。。。 未だに、私は、不安神経症です。パニック障害があります。 電車に乗れる様になった時もありました。 けれど、また、乗れなくて。。。 成功体験が大きく前に進めると、頑張って東に行った。が、 帰りに、発作が出た。ギュウギュウの満員電車で、手も動かせない。 コソコソと、「え??うそやろ。電車止まったら困るやん」…て言葉が聞こえた 次の駅で、雪崩るように降りて、急いでポケットから出した頓服薬を飲み ただただ、それが効いてくるまで、息を吐き続けて、落ち着かせた。 もう、怖い。 電車も・閉塞感のある場所も。そして、一部の人間も… 地震もずーーーーーと怖い。 身近で起こっても、遠くであっても。 けど、生かされている。 今、こうやって、病気はあっても、間違いなく生きている。 何か出来る・しよう・しなきゃ…とは、思わない。出来ないし。 でも、忘れないでおこう。いや絶対に忘れる事は、ないけれど…。 30年経っても、映像で見たり、この日がきたり、ヘリコプターの音を聞くと 未だ、怖い人も居るのを、知ってて欲しい。 こんなちっぽけなブログ、誰も見てないけれど、いつかは書きたかった。 言っておきたかった。 拝啓 私は、それでも、今、生きております。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.01.17 10:12:29
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