ままっちの徒然
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まあ、よくあることなんですが、昨日の夕方から麻痺。 言語障害、右腕麻痺。 じんわり、後頭部から顔面までしびれてきたなあって思ったら、はい、麻痺が始まった。 そのまえ、生欠伸がやたらと出ていたな。 いつまで、これ、続くんだろう。 まだ、治らない。
2017年02月21日
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またしてもダウン。 今回は右側。 それと、ふらつき。 先週あたりから、不眠症状があり、そのせいか、脱力やふらつきがあったけど、気づかれないように、どうにか仕事はこなせていました。 結局、今日は朝から仕事を休むことになり、またしても自己嫌悪です。 休むたびに、迷惑をかけているのが申し訳なく、そして辛い。 かといって、どうしようもない。 以前の職場は、麻痺していても、口と片手が動けばなんとかなった。 姿を晒しても、授業ができれば問題なかった。 今は、健康がウリの商売なのて、健康でないと店にも入られない。 選択としては間違っていなかったが、同僚に申し訳ない。 本当に、申し訳ない。
2016年09月29日
新人の50代の同僚が、30代の同僚に、 「ままっちさんは、福岡あたりの大きな病院で(もらもや病のことを)看てもらえばいいのに。」 と言ったらしい。 その30代の同僚は、 「ままっちさん、少林寺やめたら?」 と言う。 心配からの発言なんだろうけど、うんざりする。 ままっちの執刀をした先生は、日本で三本の指にはいる、もやもや病の権威だ。 都会の病院で看てもらって、すぐに発作も何もかも治るなら、難病でもなんでもない。 反対側の頭を開いて、また手術なんて、もう嫌だ。 少林寺だって、半年間休んでいた時だって、関係なく発作はやって来た。 病気に押し潰されて、やりたいことを我慢しても、全く意味がない。 そして、よく病気を知らないし気持ちも理解できない人間にとやかくいわれるのも、もう飽きた。
2016年09月10日
月曜日の昼過ぎに、麻痺が出始めて、水曜日に出勤。 全快ではなく、待っていても、完全には治りそうにないから見切りをつけて、仕事することにしました。 その日は、少林寺拳法の練習にも参加しました。 ただし、仕事中も、練習しているときも、足の脱力や右腕の不随意筋運動が、ちょこちょこ発生。 今回は、本当に肝を冷やしました。 木曜日は、ようやく症状がおさまり、ほっと一息。 まだ油断はできないですね。
どんなに筋トレしても、脳は鍛えられないのよね。昨日の昼休みから、右肩から上腕が麻痺。約一日たちますが、完全には戻りません。ここ三週間ほど、右親指の皮膚感覚がなくなったまま。多分、もう、治らない。頭を開くのも、もうゴメンだしなあ。何より仕事に差し支えが出るから困る。先週、ベテランスタッフが、寿退社したばかりだし、来店数が激増している今、休んだり辞めたりはもっての他。他のスタッフに申し訳ない。10月末に出場することになっている、少林寺拳法の全国大会にいけなくなるのも、とっても困る。今回の相方S君は、初出場なので、とても楽しみにしている。どうすれば手術なしで治るんだー!!人気ブログランキングへ育児・女姉妹 ブログランキングへワーキングマザー ブログランキングへ
2016年09月06日
朝おきると。頭痛が~(汗)ろれつも廻らないし、体は麻痺。仕方なく会社はお休み。今月30日の休日出勤と振り替えてもらいました。はからずも4連休。社会人としてどうなの!?と自分で突っ込みいれながら、一日とこについておりました。おいしいもの食べたい・・・たらばがに風味ラーメン塩味 1食入り [北海道お土産]【累計16000箱出荷突破!】楽天最安値に挑戦!1キロあたり1,996円【訳あり】メガ盛ズワイ蟹足×...価格:12,800円(税込、送料込)
2013年12月20日
立場が違うこの二者。お互いにもどかしさがあります。昨日、定期健診でN大に行ってきました。まずは脳外科で受診。相変わらず、時々痺れや麻痺があり、今の時期は天候によって頭痛がひどいと報告。これも変わらず機械的に応対をする担当医。右半身のことだけを尋ねられるので、素直に答えていたら、左には出ないのかと言われ、「左側もありますよ」というと、怪訝な表情。「でも、少林寺拳法はできてるんですよね」うん。できてるよ。県大会も3位入賞だったしね。次は内科で受診。たまたま、担当医が不在で別の女性医師。数値は落ち着いて正常範囲。症状を聞かれるので、相変わらずだとここでも答える。「ままっちさんのほかに、バセドウが引き金でモヤモヤ病になった患者さんがほかに2名います。その方たちは、数値が落ち着いたら、症状をおさまっているんですけどね~。」ままっちはね、悲しかったです。ここも同じなのかと。お医者さんは神様じゃないから、治せないことも原因がわからないこともあるさ。わけのわからない病気なんだから、どうもならないのはしょうがない。でもね、統計結果に当てはまらないイレギュラーな患者だっているんだよ。町医者A:「脈拍も血圧も正常。息苦しいわけないです。」いや、苦しいんだよ。結局、バセドウ病だった。知識を過信して見抜けなかったのはあなたよ、先生。町医者B:「頭が痛い?偏頭痛でしょ。痛み止めだけだしときますね。」歩くたびに頭に響いて痛いよ、先生。くも膜下出血だった。危うく死ぬところでした。その状態でも歩ける患者がいるんだよ、先生。町医者C:「麻酔が効いていない?そんなわけない。切りますよ。」いや、きいてないって!感覚がもろにあるし!その状態で帝王切開するのやめてーーーーー!!!!本当にそのまま切られた。死ぬかと思った。痛みと恐怖で血圧が200を超えてから記憶がない。ままっちの体が痛みに耐えられてよかったね、先生。他諸々。大学病院は研究機関みたいなもんだから、イレギュラーの認識があるものだと思っていました。個々人のケースを記録し、研究し、対応するのが大学病院だと安心していました。過度に期待しすぎていたのかな。それと、少林寺拳法ができてるっていうのは、病気とは関係ない。それは「意志」の問題。フルタイムで仕事して家事こなして夜な夜な道場に通って、睡眠時間短くて。しんどくないわけあるかいな。病気を持っていなくても、40才過ぎれば若者よりも体力もたないさ。道場の入り口に立つ前から手足がしびれてるなって思うことも多々ある。うまく動かなくて振り遅れたり、蹴り遅れたりすることだって。だから、なんなんだよ。機能的にまったく動かないわけじゃない。どんだけしんどくても、やろうと思えばできる。振り遅れるなら、遅れる分だけ初動を早くすればいいんでしょ。ままっちの手足は時々強制ストップするけど、動いているんだよ。つまり「やるかやらないか」でしょ!?そこんとこ間違わないでよね、先生!何年通っても現状維持なら、病院に通う意味あるのかな。もう十分、データはとれたと思うんだけど。いつも優しくままっちの話を聞いてくれる内科のU先生。先生だけは信じていいのかなあ( ´・ω・ `)
2013年06月12日
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ままっちは、喋るのが商売です。日がな一日、パソコンについて訓練生に説明したおします。声が大きいからってわけでなく、3時間目くらいから頭痛がします。顎や舌が疲れるわけじゃないのに舌足らずになってきて、「です」が「れす」になりそうになったり(^ ^;舌がうまく動かせないみたい。英語の発音がよくなりそう
2012年05月10日
もやもや病のご報告。ここのところ、麻痺して完全にOUTっていうのは少ないです。20日ほど前に、両足動かなくなったくらいかな。疲れると四肢の機能が低下しているのを感じますが、とりあえず動きます。授業をしていて、舌が動かしにくいことはあります。でも話せないわけじゃない。夜になるにつれ頭痛と思考力低下が起こるのが、最近の悩みです。総じて言えることは、まとまった休養が必要。。。。休めない(/TДT)/あうぅ.
2012年04月25日
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ひっさびさに「もやもや病」関連。先週の火曜日、大学病院でMRI検査をしました。結果の写真を見ながら、担当医のH先生が衝撃の発言。「う~ん。まあ、あんまり変わってませんけど・・・。ああ、ここ、見えにくくなってます~。」沈黙。「こっちも手術します?」え?やだよ。何うきうきしてんですか。開頭して脳の血管をつなぐのなんて、もう、いやっすよ。水道管つなぐわけじゃないんだから、簡単に「はい」っていうわけないでしょ。
2012年02月14日
おかしな話ですが、初めて「自分のために生きていたい」と思いました。脳梗塞やくも膜下出血をおこし、命の危険にさらされたり、麻痺や頭痛や、ひどいときは意識障害に襲われたとき、五体満足に生きていたいけれど、仮に自分がこのまま死んでしまっても後悔はないと考えていました。山あり谷ありでしたが、結構幸せな人生だったし、精いっぱい生きてきました。家族や会社に対して心配はありましたが、子供たちにはととや祖父母たちがいます。私と私が選んだ伴侶の子供ですから、母親がいないつらさにも立ち向かっていける確信があります。年老いた両親の老後は、妹と親類が考えてくれるでしょう。もちろん、私が生きている間はどちらも責任持ちます。私の生は誰かのためにあり、自分が何かをなすのは社会の中でそれなりの意味がある。だから、生かしてもらっている間は、手を抜かずに生きるけれど、逆らうことのできない死について、自分のために抗うなんて考えたこともありませんでした。最近、同じ道場のF君と病気について話す機会がありました。私の病気については、道院長と相方のHさんしか知らせていませんでしたが、F君が、ある病を抱えながら修業していると知り、情報交換をしている途中、「もっと上達したい。だから死にたくない。麻痺も嫌だ。」と言った自分に、ハッとしました。誰かのためでなく、自分のために生に執着する自分。子供たちの成長を見届けたいとか、親を看る責任とかじゃなく。シンプルで強烈な欲求です。きっと、これからは今までと違う意味で病気と向き合っていけると思います。
2011年11月10日
2日前にくも膜下出血で緊急手術をされたKEIKOさん。TKにも彼の音楽にも共感を持ったことはないけれど、奥さんには好感を持っていたのでショック。手術が成功して、ご主人の問いかけに反応しているそうなので少し安心しましたが、話せないというのが気がかりですKEIKOさんが、もう一度、歌えますように。ままっちがくも膜下出血を起こして5年経ちます。ととが、朝礼で言っていました。「くも膜下出血になった人の3分の1は亡くなり、3分の1は後遺症が残るそうです。 ままっちが仕事に復帰して、元気に働いてくれてよかったなと。 元気でいられるということは、何か意味があるのではないかと思います。」ままっちも、そう思うよ、とと。「病気を持っているなんて思えない!」といわれる生活ができているのは、誰かの役にたちなさいってことだよね。今日も全力でお仕事してきます。
2011年10月26日
もやもや病の病状についてご報告です。頭痛・・・毎日(軽度)。左腕や左手のしびれ・・・頻繁。四肢の脱力・・・不定期。左顔面のしびれ・・・ここ十日間ほど継続してあり。だからといって、表情に影響がでるほど痺れているわけではありません。痺れがこんなに長くひかないのはめずらしいので、気にはなりますが。情報提供という意味で、次回の診察時に主治医にお話をするつもりでます。症状の改善は、治療法がないから無理。癌を笑顔と気力で消し去る人もいるくらいだから、ままっちだって楽しんで病気と付き合っていきますよ~
2011年10月21日
四肢が麻痺を起こすとき、左右のどちらか半身ならなんとか自分の面倒は見れます。食事とかトイレとか。っていうか、できるようになりました。困るのは、両足や両腕のパターン。ここ数ヶ月のあいだに、どちらも経験しました。両腕はつい先日。ここで鴻上尚史風、究極の選択です(古いか)。「両足の麻痺と両腕の麻痺、どちらを選ぶ?」経験から言って、足のほうがマシでした。両手が動かないと、お箸どころかスプーンも持てない。トイレに行こうにも、パンツが下ろせないヾ(@°▽°@)ノズボンまでは足でなんとか下ろせたんですけどね。数時間は要介護3レベルですよ。しかし、手が動かないと足は器用になるものです。携帯だって足で操作できちゃうし、棚からものを取ったり、寝転がってドアノブを足で回したり。普段から足腰を鍛えておいてよかった。今度、同じ状況になったとき、どうやって上記課題をクリアするか思案中のままっちなのでした。
2011年09月11日
やったぜ京大!http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110721-00000009-kyt-l26「mysterin」と呼ばれるこの遺伝子の研究が進んで、早くモヤモヤ病の治療薬ができるといいな。自分のためというより、これからの世代のために。
2011年07月21日
昨日、大学病院でMRI検査をしました。おかげさまで、良くも悪くもまったく変わりない結果でした。最近、やっと主治医のH先生と馴染んできました。最初はサイボーグみたいに見えたけど、笑うと優しい顔をします。調子に乗って質問してみました。「先生、いつになったら麻痺や頭痛がなくなるんでしょうか?やっぱり、ずっと付き合わないといけないんですかねえ?」「う~ん。だんだん良くなるんじゃないですか?」かなり気のないお返事に笑えました。それ、地元でいうところの「だんだんよ~がっしょ!」ってやつですか!?良くなってもらわなきゃ困りますって。
2011年06月15日
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職業訓練の担当をしていると、難病をかかえた方と頻繁に出会います。難病って、まったく珍しくないんです。他にも、人工透析をしている、つい最近癌を克服したが再発の恐れがある、身体に障害があるなどなど多種多様です。ほとんどの方は「明日があるのは当たり前のことではない」と知っているからか、一生懸命努力をされます。しかし、病気を言い訳にして、一切の努力を放棄している方もいます。「私は病気だから。体の調子が悪くて勉強ができないんです。」って言うわりに、休み時間はイキイキしているじゃない。よく笑いながら仲間としゃべってるの知ってるし。「難病」を授業についていけない言い訳にしちゃだめでしょ。病気になったのはあなたのせいじゃないけれど、流されるままに生きて、つらいことから逃げ続けてきた結果が「あなたの現状」を作ったんだってこと、忘れないでくださいNさん。「難病だから」できないじゃなくて、「難病だから」逃げずに精一杯生きてほしい。
2011年05月26日
夫婦でおしゃべりをしながら夕食をとったいた時のこと。突然、ままっちの左親指とその周辺の力が抜け、お味噌汁の入ったお椀を落としてしまいました。お気に入りのお洋服にこぼしてしまったので、ままっちはびっくり。「力が抜ける瞬間」を初めて見たととは、もっとびっくり。今までは、発作がおこってから「動かない」と報告をしていたもので(^ ^;幸い3分ほどでもとの状態になったので、ままっちはルンルンだったのですが、てんかん発作の事故が報道されていたこともあり、「車の運転、大丈夫かな。 両方の腕や足が同時に動かなくなる確率は低いだろうから、ちゃんと両手で運転するんだよ。」と真剣に忠告されました。今のところ、主治医に運転は許可されています。しかし、大震災が起こる前々から、どこかの中学校では、「ハザードマップを完全に信じるな!いざとなったら自分の判断で避難するように!」という教育があったから全員助かったのだとニュースで言っていました。ままっちも、何より人の命がかかっていることですので、主治医のお墨付きがあるからと安心せず、注意に注意を重ねてハンドルを握りたいと思います。田舎なので車に乗られないと移動手段がなく、不自由この上ありません。しかし、疲労が激しかったり体調の悪い時は、思い切って車をその場に乗り捨てるケースも頭においておけねばと考えさせられた一件でした。
2011年05月12日
月曜日の早朝、ままっちが麻痺した時のさあたんとの会話。「もう。いつもバタバタするからよ。」「じゃあ、お母さんがそうしなくていいようにしてよ。」「今度から、さあたんが手伝うからゆっくりしなさい。」では遠慮なく、というわけで幼稚園バッグの中身の準備をゆうたんたんの分と合わせて二人分やってもらいました。ケースに入っていないお箸がハンカチにくるんであったり、そのお箸も幼稚園用のものでなかったりと微笑ましい失敗はありましたが、自分の髪も(ちょっと変だったけど)自分で結んだり、精一杯やってくれました。無理をさせているかもしれません。その分、体調のよいときにはしっかり抱きしめて、たくさん誉めて、心から感謝の気持ちを伝えるようにしています。その倍くらい叱ってる気がするけど、きっと気のせい
2011年04月20日
月曜日、麻痺+動悸のため会社にお休みをいただきました。血圧・脈拍ともに正常値なのに動悸があるのは、バセドウ病が一時的に「やんちゃ」しているからだと思います。とにかく息苦しい。睡眠不足や仕事のストレスでしばらく無理していたからな~。日曜日も芝桜見物から帰ってから、押し入れの上段から重い衣装ケースを引っぱり出したり戻したりして、脳圧もあげちゃたし・・・。お休みっていっても、家事に追われて休めないし。体の安全装置が働いたと思って、ゆっくり休ませていただきました。今は、息苦しさもとれて体も動きます。次回の定期診察でMRIをとります。よい結果であることを祈ります。
久しぶりに、もやもや病の状態について書いてみます。ばっちり健康です!ままっちにとっては、ですけど。急に右半身が重くなって動かしづらいな、とか、呂律が回りにくくなったな、と感じるのは日常茶飯事ですが、完全に動かなくなってアウト!ってのは最近はないです。暖かくなったせいもありますが、なかなか血圧が下がらなかったので、降圧剤をもらうついでにいただいた筋弛緩剤を含んだ導眠剤が功を奏したのか、やっとこさ血圧も安定して体が楽になりました。大きな原因はストレスと疲労と寝不足だったみたい。元気になると「やりたいこと」が増えて寝不足を加速させがちなので、ここは自重して体調維持に努めます。
2011年03月08日
血液検査の結果を聞いてきました。「今週も、血圧が高かったですか?」と、U先生。「はい。」ままっちドキドキ。「う~ん。」先生、結果とにらめっこ。ままっちドキドキ。「わかりません。ホルモンの値はすべて正常値なんですよ~。」・・・。ええ~っ!!あ、いや、よかったのか!?実は、モヤモヤ病の人がかかる可能性が高いという、原発性アルドステロン症や腎血管性高血圧を疑われていたので、そんな重大な病気でないと分かっただけでもよかった。原因不明のまま、とにかく血圧を下げなければならないので、降圧剤を飲むことになりました。若干の不安は残るものの、しばらくは薬を飲みながら様子をうかがいます。
2010年10月27日
ここのところ血圧が高く、息苦しくて困っています。ひどい時には上が200を超えることもあり、普段でも160を上回ります。少なくとも昨年までは120/80平均だったので、なぜ?という思いが強いです。食生活が変わったわけでもなく、少林寺拳法をしているので運動量はむしろ昨年より増えています。そういえば、少林寺練習後の異常な青あざは今年に入ってからでき始めました。ストレスが原因でしょうか??心配ばかりしていてもはじまらないので、昨日N大で診察を受けた時、脳外科と代内一の主治医に相談しました。脳外科の先生は専門外ということで代内一の先生に詳細を話したところ、「血圧をコントロールするホルモンに異常が出ているかもしれないから、血液検査しましょう。」と言われ、30分横になって安静にした後、血液採取。結果は来週出ます。もし、ホルモン異常でなければ一般的な血圧コントロールの治療を行うそうです。やっぱりN大のU先生は頼りになります。あ、ちなみに、もやもや病の症状は今でも変わりありません。しびれは日常茶飯事、麻痺もちょくちょくあります。頭痛は高血圧も手伝って、毎日です。倒れない程度に頑張ります。
2010年10月20日
発作にはなれっこですが、起こると困るタイミングってあります。朝。困りますね~。起きぬけの右半身麻痺って困る。朝ごはんとお弁当が作れないし、子供たちのお出かけ準備だっておくれちゃう。大声でととを起こして、インスタントのお味噌汁を作ってもらったりパンがあれば焼いてもらったりするんだけど、なにせ慣れていないのでモタモタです。とっても大変。そして、今現在、ままっちは非常に困ってます。会社に私しかいないのに、頭痛がするし、右顔面が動かしにくくて、ろれつが回らない!さっき、飛び込みのお客様がいらしたけれと最後は筆談ですよ。電話もとらないことにしました。早く閉店時間になってくれ~!!
2010年08月06日
この1ヶ月半、完全にブログに対してシカト決め込んでました。だって、早朝から夜中まで思い出せないくらい毎日忙しかったんだもん。職業訓練の簿記の授業をほぼ終了させ、実務会計試験に自身が合格し、6月に開始した基金訓練のクラスメンバーとようやく打ち解け、東京を含む出張を数回こなし、今月11日に開催される少林寺拳法県大会出場に向けて週3回の練習に励んでました。そんな中、先日、N大へ定期検診へ行きました。今回のMRで新たにわかったこと。以前の吻合手術で内部へ入れ込んだ血管が、1年前に比べると明らかに成長している!ってことは、血流が良くなってるってことかしら?でも、右脳側のモヤ血管も若干成長中。血管が成長するなんて、ちょっと不思議な気分。
2010年07月02日
明日は、3か月ぶりに大学病院へ行ってきます。現在の病状ですが、しびれが頻繁に起こります。ここ1週間ほどは左半身に見られるので、右脳に虚血が起こっているのかもしれません。忙しかったので食欲が減退していたせいもあるのでしょうが、急にやせ始めました。息苦しく、甲状腺も大きくなっている気がするので、この3点からバセドウ病のほうが心配です。バゼドウ病がモヤモヤ病の原因にもなっているので、ナチュラルダイエットと喜んでいられない状態なのよね、これって。明日の検査はバセドウの血液検査のみで、MRをとりません。とりあえず行ってきます。
2010年04月05日
もやもや症状発症。昨日の夕方から夜にかけて右半身を引きずっていました。今朝には落ち着き、出社しました。まだ、軽い頭痛と右側の違和感があります。このところお疲れモードだったせいでしょうか。さすがに朝のランニングはできませんでした。
2009年09月11日
昨日、N大病院まで定期検査に行ってきました。MRIと血液検査。結果は現状維持です。良くも悪くもなっていませんでした。次回は9月8日です。
2009年07月15日
昨日、UPした5分後に、首右側、右肩、右腕が動かせなくなりました。訓練生に気取られないようにサポートのOさんにのみ症状を伝え、両腕動かなくなった場合の講師用PCの画面操作をお願いし、授業を強行。マウスとキーボードは左手で操作。途中、右顔面も軽い麻痺があり、「しゃべり」があやしくなりヒヤッましたが、5分程度でもどりました。訓練後半なら訓練生に練習問題をひたすら解かせて時間を消化するという手も使えますが、前半は「説明」が多いので、とにかく口だけは動いてもらわないと困ります。完全に動かなかったり少し動いたりと波がありましたが、2時間程度で症状はおさまりました。さあたんのおねしょ+夜中のお着換え、ゆうたんたんの夜泣き、試験勉強と睡眠不足が続いていたせいかもしれません。病気であることを忘れて油断していました。
2009年06月27日
14時ごろから右腕が重い。もうすぐ動かなくなりそうな気配。右顔面も動かしづらい。あと1時間授業が残っている。今日の授業は終わるまでもってくれ!
2009年06月26日
昨日の検査の結果です。脳もバセドウ病も変化なし。ロキソニンと咳止めの薬をいただきました。夜、ゆうたんたんがせき込んだので吸入をさせたついでに、余りの液で自分も吸入。今日は、少し、咳が治まっています。次回の検査は7月14日です。
2009年05月20日
うかつにも風邪をひいてしまい、ゴールデンウィークからずっと咳込んでいます。内科に行く時間がなくて、市販の薬でごまかしていますが、朝と夜は喘息のような咳が続いて辛いです。咳込むと脳圧があがるので頭痛がします。そのせいか、手足のしびれや右顔面の軽い麻痺が何度かありました。全部、短時間で治まったので結果オーライですが、やっぱり風邪って大敵です。明日、N大で定期検査をするので、バセドウ病の経過を見てもらっている内科の先生についでに咳止めや抗生剤を出してもらおうと思います。
2009年05月18日
火曜日にN大病院へ定期健診に行ってきました。バセドウ病のほうは、血液検査の結果、数値が安定しているので、プロパジールの量を若干減らして様子を見ることになりました。脳外科は問診のみ。前回から数回、虚脱やしびれがあり、最近頭痛が頻繁に起こることを告げ、痛み止めにロキソニンをもらいました。そして、今回は、どうしても主治医のK先生に尋ねたいことがありました。Q:「先生は遺伝は心配ないとおっしゃっていたのですが、難病センターのサイトでは『10%セント程度の遺伝が認められる』と記載されていました。実際のところ、遺伝はありえるのでしょうか?」A:「10%は大げさですね。うちで経過を見ているモヤモヤ病の症例が50~60ありますが、3代での遺伝が認められたのは1例だけです。全国でも、おそらく十数例でしょう。つまり、遺伝は稀です。子供さんに症状が出たら、もちろん検査の必要がありますが、症状が出ず、ただ心配だからという程度なら、大きくなって成人前くらいに検査すればいいと思います。それに、その検査自体の科学的根拠もあるかどうかというのが現状です。」2年前、退院する時に「遺伝はないので安心してください」と病棟の担当医のB先生から言われていたのですが、ここにきて難病センターの情報が変更され、かなり心配しました。だって、10%って一割ですよ。あたりまえだけど。数字が大きすぎます。本当に安心しました。K先生は、残念なことに来月から市内の民間へ移動されるそうです。信頼している先生がいなくなるのは、さみしいし不安ですが、今後のさらなるご活躍をお祈りいたします。ありがとうございました。
2009年03月26日
足のしびれですが、昨日の午後には回復し事なきを得ました。また、今朝、朝食の準備中に左薬指と中指に同じようなしびれが出ましたが、10分程度でおさまりました。N大病院の主治医に連絡をいれ、近くの県立病院で点滴できるよう依頼してもらおうかとも思ったのですが、以前、県立病院でCTとMRIの写真で見極めがつかない新米脳外科医に「脳に出血があるかもしれないから」と骨髄液を採取され、低髄圧でひどいめにあったので、余計なことされて再入院になると困るので、結局、放置してしまいました。何事かあるとき、近くに信頼できる主治医がいなのは不便だと実感したケースです。
2009年02月24日
今朝目覚めると、右足が動きません。ピクッくらいなら動かせますが、限りなく麻痺に近いしびれです。すぐによくなるかも、と、お布団のなかでじっとしびれが取れるのを待っていましたが、症状は変わらず、結局ととに、かなり差し迫った時間に「動けない」と、申告しました。お味噌汁が作れず、卵かけごはんと肉じゃがのみのさみしい朝ごはん。(お味噌汁が飲みたい。)両親、特に母に知られると必要以上に大騒ぎになるので「風邪で調子が悪い」と言って、今日は、私の代わりに、ととに子供たちを実家に連れて行ってもらいました。今日は主治医もいないとわかっているし、以前、同じような症状で連絡をしても,頭痛があるわけではないので様子を見ようといわれたことがあり、とりあえず病院へは連絡を入れず、ととの車に便乗して出社(人も足りていないし)。幸い、訓練も今週いっぱいということで、授業内容は実習のみ。うろうろする必要もないため、セーフです。足、早く動くといいな。
2009年02月23日
ここ数日、右半身に脱力感があります。完全に脱力して動けないわけではありませんが、「痺れ」というより、意識して左より力を加えないと動かしにくく、気を抜いたら動かなくなりそうな気さえしてきます。くも膜下出血をおこしても、難病になっても、脳の手術の決断も、まったく取り乱さないなんて、ままっちは肝が据わっていると社長が褒めます。手術のとき、正常な状態の妻には二度と会えないかもしれないと不安で悲しかったのに、「いってきます!」とニコニコしながら元気に手術室へはいって行った時は驚いたよと、ととが笑います。「私と同じ状況に置かれたら、あわてても仕方がないと、みんな思いますよ」ままっちも、控え目に答えます。でもね。平気なわけじゃないんです。症状が出ないときは、「このまま一生、何事もなく生きていけるんじゃないかな?」と楽観して病気のことなんて忘れちゃいますが、ひとたび頭痛・意識障害・麻痺・脱力・しびれの症状が出始めると、内心さすがに凹みます。モヤモヤ病が恐ろしといわれる所以は、ほんのちょっとの無理が祟って、1秒先には半身不随や寝たきり、最悪の場合死が待ち受けているということです。発生の確率は健康な方の比ではありません。ままっちは、まだ、やるべきことが山積みなので、そんな有様はゴメンです。しかし、可能性がないとは言い切れません。だから、万一の場合を考えて、日々悔いなく過ごすようにしています。職場でも家庭でもできる仕事は明日まで残さないとか、家族や周りの人間にはタイミングを逃さずに感謝や気づきを伝えたりとか、赤の他人であってもポイ捨て・煙草のマナーの悪さなど社会のルールに反していたら(怖いけど)注意をしたりとか。両家の両親を見送り、子供たちが嫁に行って、孫の世話をするまでは元気でいたい!!
2009年01月31日
昨日、車で約1時間半のところにある大学病院へ、モヤモヤ病とバセドウ病の定期検査に行ってきました。脳の血管は、術後からとくに変化もなく、現状維持の状態でした。数日前、右足のしびれを感じた以外は症状も安定しています。バセドウ病は、薬がよく効いているらしく血液検査の結果は正常値。次回まで、分量を変えずに、プロパジールを1日3錠ずつ飲み続けて下さいとのこと。3月24日が次回検査日です。
2009年01月28日
先般のコメントと矛盾するかもしれませんが、入院していた「N大病院 脳神経外科」で、私は病院というものに対し、信頼を取り戻しました。執刀を担当されたN教授をはじめ、外来主治医のK先生、病棟主治医のB先生他、どの先生方も私たち患者に対し敬意を払ってくださいました。私が住んでいる地域では、お医者様だからとふんぞり返って、患者側からろくな質問もできないことなど当たり前で、見立てに対し意見しようものなら、高圧的にどなられることもしばしばです。かといって、素人目にも技術が優れていなのは明白で、尊敬など到底できなくなっていました。ですから、偉そうどころか、むしろ頭の低い先生たちにとても驚きましたし、記録には残していませんが、安心して手術をお願いできたN先生、毎日様子を伺いに来てくださったK先生・B先生には、今でも感謝しています。脳神経外科の先生方は、いったい、いつ休日をとっているのだろうと不思議なくらい、毎日お顔を拝見していました。それに、看護師の方も熱心な方が多かったのが印象的でした。特に、私の担当看護師の女性は、患者一人ひとりの回復を心から願っていました。本当に、頭が下がる思いでした。彼らのような方に、日本の医療の将来を切り開いていただきたいと強く願います。ありがとうございました。
2008年09月28日
退院後、月に1度、通院して現状の報告とバセドウ病の血液検査をしています。左脳血流は随分回復し、右脳血流は現状維持です。半年間は、数分間の左足の麻痺、手の痺れ、数分間の意識障害(嘔吐のとき1度だけ)等がありましたが、その後は安定しています。バセドウ病も回復に向かいつつありますが、薬の量を調整して様子を見ている状態です。今後は、2ヶ月に一度の通院ですみそうです。ご心配をおかけした皆様には、報告が遅くなり、大変申し訳なく思っています。遅ればせながら、たくさんの励ましをいただき、ありがとうございました。ままっちは、今も元気です。ちなみに、2月生まれの第2子は「雪月(ゆづき)」といいます。実は、この子の出産のほうが開頭手術より、よほどつらかった。緊急帝王切開だったのですが、麻酔がまともに効いていない状態でメスを入れたため、本当に死ぬかと思いました。今だに夢に見るくらいです。以来、病院嫌いです(ToT)
2008年09月27日
メモ:2007/05/02ととの親類(本家他)来院あまり言葉は喋れず薬が切れると頭痛シンチ2007/05/03薬が切れて痛い。ロキソニンをもらう。親類が来院。7年ぶりに会う友達も来院。夜、B先生が点滴の位置を変えてくれる。2007/05/04血圧が下がらない。血圧の薬を飲む。息苦しい。しかし、やっとお風呂に入ってこれた。とと、さあたんがお昼前に来てくれた。私のベッドに寝せていたら、さあたんが風邪をひいた。親類も来てくれた。2007/05/05血圧が下がらず、薬で抑えている。両親、さあたん他親類が来てくれた。ととが持ってきたDVDを一緒に見ていたら頭痛がしてきた。2007/05/06ろれつが随分回るようになってきた。しかし、完全とはいえない。点滴は24時間から朝夕のみに変わった。自分で髪を切る。給湯室まで歩いてみた。歩けたので、売店まで行ってきた。2007/05/07朝から最後の点滴。やっとはずれた。でも導線は念のため残る。もちろん入浴。息苦しさは相変わらずで、血圧も高い。売店まで散歩した。2007/05/08ウソのように息苦しさがなくなった。血圧も110~120と落ち着いた。TV、本、音楽などは、長時間は無理。2007/05/09昨晩、B先生から退院を勧められる。とと、両親と相談して、勧められたとおり土曜日12日に退院予定することを、朝からB先生に告げる。退院後は31日くらいに来院する予定。2007/05/10一日何回も行っていた血圧の測定も2回のみ。朝から内科検査用の採血。ヒマだ。夕方、叔母夫婦が来院。夜にB先生が来て、土曜日に最終的な説明をすると言われた。2007/05/11レディージョーカーの上巻を半分ほど読む。朝と昼に血圧測定。売店へ買い物に行く。14時くらいにB先生が来室。6月5日に来院するよう告げられた。二人で握手した。よい先生だ。15時半くらいに荷物をまとめる。叔母がドーナツを持ってきてくれた。補足:5/2~5/10の記録も、頭痛と言語障害のため完全に体調が回復した5/10に記入しました。メモの文字は、通常の字体に戻りました。5/8には言語障害もなくなりました。そして、5/12。無事に退院しました。術後20日目のことでした。
メモ:2007/04/28言葉はあいからず。ととが来てくれ 嬉しいBLEACHとコナンを持参うれしい定期的に頭痛夜は眠剤もらうこうじょう腺の薬もらう2007/04/29ママ、パパが来た。義父母も。ひさ君とさあちゃんはロビー。嬉しい。朝すーっと(ずーっと)頭いたい。点滴はピーピー゜うるさい。昼間起きていから、夜はよく寝ねる。2007/04/30調子良い2007/05/01朝から言葉できない最悪夕方、話せる補足:頭痛と言語障害のため、4/28~5/1の記録は比較的調子がよかった5/1に記入しました。文字の線がしっかりしてきて読める字を書いているあたり、かなり回復が見られますが、それでも言葉の間違いが数箇所あります。
2007/04/27メモ:夜中ずっと頭痛と悪で寝ねむれす。11時半まで慟きはげしいその後MRI、12時半くらいに昼食少しまひしていんし1時~2時洗髪。その後看ご師さんとはなしていたら麻痺した。ろれるまらない。S先生がきてくれた。予想していたらまひ。よくなったりわるくなったり。夕方B先生が、先生きた、せきちょっくをみかれできたいけんくかれきいてきたけすっとつかれていきたむりた訳:夜中ずっと頭痛と苦しさで眠れず。(朝の)11時半まで動悸が激しい。その後、MRIに行き、12時半くらいに昼食。少し麻痺している。1時~2時洗髪。その後、看護師さんと(昨日の麻痺について)話していたら麻痺した。ろれつ回らない。(初登場の)S先生が来てくれた。予想していた麻痺。良くなったり悪くなったり。夕方B先生が、先生が来た。(せきちょっく以下意味不明)ずっと疲れてきた無理だ補足:この頃、血圧が高く息苦しさに悩んでいました。バセドウ病が原因と思われます。右半身に軽い麻痺が見られましたが、検査の結果、経過は順調でした。傷もきれいで、ようやく洗髪台で髪を洗ってもらえました。本当に、すっきりしました。体は、まだ清拭です。術後一週間もたっていなので当たり前なのですが、まだまだ、言葉がうまく話せません。書き物もご覧のとおり、まったく意味不明でした。線を書くのが苦痛でしたので、この日を境に、数日、記録をあきらめました。テレビも疲労が激しいので極力避けていました。でも、読書はなぜか大丈夫で「リヴィエラを撃て」をひたすら読んでいました。
2007/04/26メモ:朝から先生に「今日は個人に戻る」と断言したけさはまた右半分はるる11時30分もどるほっとする叔母さんが13時半くらいにくるとてもうれしい叔母さんに電話をかりて家にかける さあたんの近況をきくトイレは部屋のトイレに自分で行ってよいよじじよに腫がひいてきた先生が2回のぞきにきてくれた内科の件、こうじょう腺はしんこうしている今は治療むずしい術後のためS君が2回きた 1回に様子に2回目はS君 B先生とほかの学生(7)と S君の採血の練習に 先生が「だめだったらすぐに手をたたくから」と冗談失敗だったけど うまくできなかったけどがんばった 結果先生がさいけつ1日、本を読んだりテレビをみたりじゅう実しただった。夕飯中 咳きこんだ片づけてもらた テレビを見ていたら右半身うごなかったった15分くらい 右手 右?? 右半身・・・と大さがっていたが あとはおちついただれにも言わなかったあとはおとなしく寝ることにした字の大きなが不ぞろいなのは、まだ、ちゃんとなおっていないからた。それに、よくまちがう訳:朝からB先生に「今日は個室に戻る」と断言した。今朝は、また顔の右半分が腫れる。個室には、11時30分に戻る。ほっとする。叔母さんが13時半くらいにくるとてもうれしい。叔母さんに電話を借り、実家にかけ。さあたんの近況を聞く。トイレは部屋のトイレに自分で行ってよい。徐々に顔の腫れがひいてきた。B先生が2回の(様子見のため)覘きにきてくれた。内科の件、甲状腺(肥大とバセドウ病)は進行している今は治療むずしい。術後のため。S君が2回来た。1回は様子見に。2回目はS君、B先生と他の学生(7名)と、S君の採血の練習に。B先生が「だめだったら(採血が下手だったら)、(僕が)すぐに(S君の)手をたたくから」と冗談(を言った)。(採血は)失敗だったけど、(S君は)うまくできなかったけど、(私は痛いのを我慢して)がんばった。 結果、B先生が採血(を代わる)。一日、本を読んだりテレビを見たり充実していた。夕飯中 咳きこんだ。(夕飯は食べ残していたが途中で)片づけてもらった。テレビを見ていたら、右半身が動かなくなった。15分くらい 右手 右?? 右半身・・・と広がっていたが、あとは落ち着いた。(観察室に戻されたくなくて)そのことを、誰にも言わなかった。あとはおとなしく寝ることにした。字の大きさが不揃いなのは、まだ、ちゃんと治っていないからだ。それに、よく間違う。補足:やっと個室に戻ることができ、嬉しくてたまりませんでした。さあたんの近況を確認できたは嬉しかったのですが、私のパジャマを抱きしめて「おかーさーん!!」と泣いたと聞くと、切なくていたたまれなくなりました。S君の採血練習のとき、B先生が、私の頭の包帯をスポンと取りました。術後、洗髪していないので、血糊で髪が包帯の形で、ソフトクリーム状に固まっていたのに。乙女心が傷つきました(笑)。右半身が動かなくなったときは、ヒヤリとしました。いくら観察室がストレスとはいえ、やっぱりスタッフに伝えるべきだったと、後から猛省しました。また、24時間の点滴はまだ外されていません。トイレの入り口のちょっとした段差の刺激にセンサーが反応し、点滴のに付けられている装置が、すぐにピーピー鳴っていました。男性の看護師さんもいて、そんな時に限って「どうされましたか?」とやってくるので、わりとはずかしい思いもしました。
2007/04/25メモ:昨さは右半分はれる夜(朝くらい)にかんご師がかわるとてもやさい せながを さすってくれるシンチに行く先生が包帯をまきなおしてくれたまた(昨夜と)同じ看護師になっていらいら先生、点滴の針さしかえ第一内科の先生が採血にきた夕方から他のテキパキした看護師さんが来た。ほっと安心。子供が(がけから落ちたらしい)けがして緊急オペのためやっと観察したを出たただし、ナースステーション近くの部屋。夜中にずっとおばあちゃんがブツブツ。子供は夜中に観察室へもどたずっといたい助けてと言っていた。訳:今朝は(顔の)右半分腫れる。夜(早朝くらい)に(観察室担当の)看護師が代わる。とても優しい。背中をさすってくれる。(午前中)シンチ(検査)に行く。B先生が(頭の)包帯を巻きなおしてくれた。(観察室担当が)また昨夜と同じ看護師になってイライラ。B先生が、(痛くならないように)点滴の針を差し替え。第一内科の先生が(バセドウの検査のため)採血にきた。夕方から、他のテキパキした看護師さんが来た。ほっと安心。(夜中に)子供が(がけから落ちたらしい)けがして緊急オペのため、(その子に観察室のベッドを譲らなくてはいけないので)やっと観察室を出た。ただし、ナースステーションの近くの部屋(老人ばかりの6人部屋)。夜中にずっとおばあちゃんがブツブツ。(「看護婦さ~ん、今何時?」とか「(子供の叫び声が)うるさい」など)子供は夜中に観察質に戻った。ずっと、痛い助けてと言っていた。補足:当時、甲状腺肥大がいよいよ進んでいたため、バセドウの検査をしました。結果、かなり進行しており、モヤモヤ病との関係も指摘されました。体の痛みは、点滴とロキソニンで抑えていたので、我慢できる程度におさまっていました。ずっとベッドの上なので、当然ですが食欲はありませんでした。ごはんは、まだお粥でしたが、希望すれば、通常食が食べられたと思います。また、上記の子供さんですが、声だけ聞いていても相当つらそうで、なかなか寝付けませんでした。
2007/4/24メモ:左顔がはれる夜中から苦しい痛いが点滴でごまかす夕方が自室に戻るが しゃべれなくなった環(観察)室に逆戻り夜中にまた痛い年配看護師にいらいら(師長さんではない!)訳:左顔が腫れる。夜中から(頭痛がひどくて)苦しい。痛いが、点滴でごまかす。夕方に(調子がよくて)自室に戻るが、(過灌流症候群による言語障害が始まり)しゃべれなくなった。観察室に逆戻り。夜中にまた頭痛。年配看護師にいらいら(師長さんではない))補足:この日、血を抜くためのチューブを外したので、内出血で顔が腫れてきました。特別なことではなく、頭部の手術では当たり前のことのようです。しかし、見苦しいこと変わりはなく、かなりブルーでした。また、チューブを抜くときは、チクッとした程度でした。導尿カテーテルも外されました。食事もすべて平らげ、会話も通常通りできていたので、これなら観察室をでてもよさそうだと主治医に言われて自室のもどったのですが、1時間後くらいには自分の生年月日も名前を言えなくなりました。ちなみに年配看護師さんとは、その夜に観察室の担当だった人です。すぐそばにいるのに、痛いといっても痛み止めの対処をしてくれなかったり、ポータブルトイレを持ってきてほしいといっても、すぐに動いてくれなかったりしたため、結局、呼び出しブザーで他の看護師さんにお願いするということが、数回ありました。こちらも、つらい時期だったので、かなりストレスが溜まりました。
術後1日目から言語障害がおこりました。話せないだけかと思っていたら、字を読むことも、ましてや書くことも難しくなり、やっと記録を付けられたのは、26日からでした。と言っても、まともな文字は書けませんでしたが。自分の名前、生年月日、今どこにいるのかさえ、頭ではわかっているのに言葉にできないという、なんとも不思議でもどかしい日々でした。気分がよいときは本を読みましたが、いつもの数倍の時間が必要でした。漢字は理解できても、ひらがなやカタカナの単純な文字の羅列が読めず、何度も読み返したり、声に出して一文字ずつ読むなんてこともありました。下記はメモを起こしたものです。障害のため、文章的におかしなところがありますが、これが術後の現実です。メモ:2007/4/23(オペ当日)(記述:4/26)6:15 起床6:30 とと来室7:00 義父母来室7:30 両親が来る8:00 手術何がわからない管かぬからかなり苦しオペ室を出るときはく ととが最後までいてくれる訳:(気がついたときは、まだ麻酔が残っていて)何がおこっているか、よくわからなかった。(挿管された)管が抜かれるとき、かなり苦しかった。オペ室を出るとき吐く(観察室に運ばれた後)ととが(両親をはじめ、みんなが帰った後も)最後までいてくれた補足:8:00にオペ室に入った後、パジャマの上着をオペ用のものに着替え手術台に寝ると、なんとなく不安になり、病棟担当医のB先生に手を握ってもらいました。腕から麻酔の点滴が入り、10秒もすると意識がなくなり、気づいたら喉から管が抜かれているところでした。オペ室を出たのは、15時くらいだったと思います。ずっと固定されていたためか、腕の関節が痛くてたまりませんでした。頭には、血を抜くためのチューブが挿入されたままです。みんなが待っていてくれましたが、麻酔がきいたままなので、ひたすら眠かったです。その夜は、病室には戻らず、観察室で過ごしました。関節や尾てい骨、背中が痛みました。
2007/4/18正午頃に入院。D医師が採血、MRI、レントゲン撮影の説明。術前と術後の造影MRIの同意書に署名。動脈採血。ひじ内側から採血したが、針を刺したとき、親指が破裂しそうな痛みあり。病棟主治医のB医師 入院についての説明と診察。16時30分に入浴し、夕食後、「マークスの山」を読み始める。2007/4/19朝、執刀医 N教授の回診あり。(本当に、大名行列のようだった。)担当看護師Nさんより、手術前後の説明。B医師が、医学生のS君を紹介。従姉のMが来室。お昼前 S君が診察の練習のため来室。45分ほど雑談をして帰る。昼食後、入浴。D先生が、手術について若干の説明。13:30 S君再度来室。神経や筋肉の反射の診察練習。2007/4/20 7:20 B医師の 回診で目覚める。10:00 叔母のYと従姉のMが来室。11:20 MRIシンチ。13:35 帰室。遅い昼食。様子伺いに、D医師来室。15:30 S君来室。お菓子を食べながら、30分ほど雑談をして帰る。17:30 麻酔科のM医師が説明のため来室。 ・手術前日の21時以降は絶食。 ・寝る前に胃酸を押さえる胃薬を服用すること。 ・挿管するため、万一くらいの確率で、歯が欠けることがある。 ・挿管する理由は、麻酔で自力呼吸ができなくなるため。 ・管を抜くとき、苦しいかもしれない。 ・胃の内容物は、吸い取ってから抜くので、嘔吐した人はいない。19:00 手術室看護師が挨拶のため来室。20:00 N看護師来室。オペ室への持参品であるバスタオルとT字帯を預ける。21:00 「マークスの山」読破。「リヴィエラを撃て」を読み始める。2007/4/21 7:20 看護師による朝のチェック。11:00 入浴14:15 さあたんと両親、その他の親類が来室。2007/4/22(オペ前日) 6:55 看護師の来室により起床。 洗顔後、お湯とお茶を汲みに行くが、途中、右手のコップを落とす。 手に力が入っていないことが認識できない。 9:00 D医師と外来主治医のK医師による診察。10:45 さあたん、母、ととさんが来室。遅れて義父母も来室。13:30 B医師から、ままっちと家族へ手術の詳細な説明。 手術内容 ・左浅側頭動脈と左中大脳動脈を直接吻合。 ・側頭筋を移植し、脳表面にくっつけて成長させる。(間接吻合) 合併症として、以下ことが予想される。 ・脳梗塞、一過性虚血 ・一過性の過灌流症候群(急な血流量増加による言語障害など) ・創部や髄膜などの感染症 ・脱毛、創の離開 ・全身麻酔に対する合併症(アレルギー反応) ただし、下3項目に関してはまれにしか起こらず、心配ない。 また、翌日から歩ける人もいるが、通常、翌日は座る程度が限界。14:00 義父母帰る。15:00 とと帰る。 後、親類が入れ替わり立ち代りお見舞いに来てくれる。16:30 全員帰宅19:00 入浴19:15 とと、さあたん、母、叔母が来室。20:00 全員帰宅23:00 就寝
入院前、モヤモヤ病で脳手術をする方のお役に立てていただけるよう、必ず自分の記録を公開しようと決めていましたが、退院後しばらくはPCの前に座れず、1ヵ月後に職場復帰を果たし、病状が安定しているうちに子供をもう一人作りたいと願っていたら、2ヵ月後には妊娠が判明。つわりと妊娠中毒で苦しみ、2月に待望の第2子(女の子)を出産。育児に追われ、職場復帰したのが8月末でした。というわけで(かなり言い訳がましい)、ようやく記録をUPすることにしました。ただし、できるだけ正確にお伝えするため、見苦しい写真もありますのでご留意ください。
2008年09月26日
火曜日、大学病院に行ってきました。担当医 「やりますか?」ままっち「はい。お願いします。」意を決して、手術受けることにしました。担当医 「術後1ヶ月ほど麻痺が出る人がいます。」ままっち「了解です。」仕方がありません。担当医 「髪の毛は全部剃ります。」ままっち「いやです。」それは断固拒否です。(OK出ました)ままっち「抜糸のときは、痛そうだから麻酔かけてください。」担当医 「傷跡に注射針で麻酔打つほうが、よっぽど痛いよ。」ままっち「麻酔打たないで下さい。」何で点滴で麻酔しないのさ(T T)他にも色々な質問しました。全部納得しました。来月の16日から18日の間に入院します。オペは23日か25日です。怖がっていても始まらないので、肝据えてかかります。
2007年03月22日
疲れも取れ、頭がしっかりしてくると、保留にしてた手術の件を考える余裕が出てきました。さっそく、ネットで検索。一番の不安は、術後と抜糸の痛みでした。そして、美容的にどうなのかです。だって、脳の手術をするということは、剃毛するってことでしょ?傷は残っても、髪が伸びれば問題はないけれど、すぐに仕事復帰が要求される身としては、全部剃られたら問題だ。色々検索した結果、貴重な抜糸前の写真を公開してくださっているブログに辿りつきました。http://gedous.blog84.fc2.com/の「娘の病気」カテゴリーの「抜糸」をご覧下さい。ただし、生々しいので、気の弱い方はお勧めしません。まだまだ小さな女の子。私が怖がっている手術を2回も経験して・・・。写真を撮って、ブログにUPして下さったお父様の勇気に感謝します。この写真を見て決心がつきました。家庭や仕事の都合があるので、時期はまだ検討中ですが、必ず近いうちに手術します。頑張る!
2007年02月23日