2006/06/26(月)17:40
「東洋民族博物館」訪問奇譚-序-(改題)
※初出:2006/06/25 02:29:57 AM
※改題、一部修正 2006/06/26 17:00PM過ぎ
明治の頃、米シカゴ大学の初の人類学博士となった、
フレデリック・スタール博士
という方がいました。
日本では「お札博士」として有名らしく、柳田翁の「郷土研究」第1巻の記事の中に
【スタール教授動静】として、
[今度は日本で又藩札の蒐集をしたいと言つて居る。妙なことに眼が留まつたものである。]
という文があるとのことです。
(柳田國男全集第24巻所収--神保町系オタク日記様より)
「今度はまた」というからには、何度も日本を訪れていたフレデリック博士ですが、最初の訪日の目的は万博に出展するアイヌ民族の資料収集だったのです。
アイヌ民族の資料とくれば、我等が北海道の命名者、
松浦武四郎
明治政府と半ば「絶縁」するかのように表舞台から姿を隠した松浦武四郎を、地理学者として、またアイヌ民族庇護者としてその「伝記」を著して世に知らしめたのは、日本人ではなく、このフレデリック博士だといわれています。
武四郎の文献や、蒐集した資料に大喜びしたのでしょうね。
人類学者ですから、日本に来れば来たで、当然日本民族も研究対象になり、列島を歩き回ってその資料を集め、大の親日家にもなっていった様子が随所に書かれています。
さてさて、このフレデリック博士の通訳として17年間活躍なさったのが、この「東洋民族博物館」を開館し、
近年104歳で亡くなるまで館長を務められた
九十九黄人(つくもおうじん)氏
です。(本名:九十九豊勝)この方です。掲載の許可をいただきました。
博物館の内部の壁にあったお写真です。
遺された膨大な量の民族学的資料はかつてはご長男が管理し、現在は末のご子息が、企業を定年退職したあとに展示物として見られるように整理し、博物館隣のご自宅に暮らしながら「館長」としてこの博物館を維持管理なさっています。
初代館長の九十九黄人氏、働きながら夜間中学を出て※働いて学費を捻出して中学へ入り、フレデリック博士の通訳や助手として、後半は殆んど共同研究者的なお立場でもあった(らしい)のですが、日本では「学歴」がないため正当な評価は得られていません。
フレデリック博士亡き後なのか、どうなのか・・・探検家として世界を遍く巡り、民俗学の研究にいそしみながら蒐集したのが、この博物館に一斉展示されているモノ達というワケです。
なお、九十九黄人氏は後年、英語で著した膨大なページ数の論文「日本の性風俗」で、アメリカにおける博士号を取得しています。(多分)
淡々と、「事実」と目されることを寄せ集めて九十九大先生のご紹介をさせていただきましたが、
はい、ここで、今日の、題名をとくとご覧下さい。
博物館を訪問して見学したレポートがなぜに「奇譚」なのか?
ぜひ疑問を感じていただきたいところです(笑)
紹介文にチラチラとある、なんとも煮え切らない表現にもご注目ください。
地元、奈良県にお住まいの方々にさえあまり知られていないこの博物館、菖蒲池付近にあるとは知っていましたが、今まで行きたくても行けずにいた場所です。
今回、ハーブのやり取りから、ブログ友のsunnyさんとオフでお会いすることになり、待ち合わせた場所が菖蒲池の近くだと知り、お誘いしてみました。
釧路つながりでもあったsunnyさんには、幸いにも、
「ぜひご一緒します!」
と言っていただけて、一人ではどうにも不安だった私は、このチャンスをどうしても逃がしたくなく、雨の中、近鉄「菖蒲池」駅に、sunnyさんと一緒に、降り立ちました。
sunnyさんはもとより、菖蒲池の若い駅員さんもまた、この博物館の存在を知らないとのこと。
楽しみでワクワクしながら、駅から左方向へ、菖蒲池をグルリと回りこむような形で徒歩5分ほど行くと、それらしい建物が民家と隣りあわせてあるのが見えてきました。
看板もちゃんと出ています。
・・・・・・にしても、開いているのでしょうか?
緩い坂道のアプローチをこわごわと登ってゆくと、左手には先生のお言葉が書かれた碑があります。
あとで伺って分かったことですが、一番下の英文は、そのままの意味。104歳までご存命だった先生は、ハレー彗星を二度、ご覧になっているのです。
うーん、なんとなく「趣」がある建物です。
昭和2~3年の建物らしいのですが設計者は先生でしょうか?伺うのを失念。
なんとも摩訶不思議な品々に出迎えられました。
一番左のものは、・・・どこぞの境界線付近に置かれていた魔よけの石塔だそうで。
一番右は、先生の手によるもので、「吾、唯 知るを足る」の・・・立て札?
さらに進んで、L字型建物の左屋家の屋根下の壁。
「東洋民族博物館」・・・ですよね?
キリスト教の宗派のひとつで使うシンボルかなにかなのでしょうか?
玄関に向う前に、庭のようになった部分をクルリと見て回りました。
段々と、ビミョーな雰囲気に。
はい、右屋家の壁にはコレ。ますますビミョーです。
この「こけし」、ちょっとした幼児ほどの大きさはあります。
シカゴ大学教授の人類学者、フレデリック博士による、考古学的・民俗学的価値のある研究資料の展示された博物館である由。
やはり入り口は閉まっていて---
なぁ~んだ、これだけ?
などとおっしゃいますな!
これからですよ、これから!!
長い長い3時間、次回にさせていただきます。
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やや低調・・・どうぞ宜しくお願いしますm(_ _)m
※訂正 夢見る森林ジャーナリスト:田中敦夫氏の「知られざる探険家列伝」の(40)の記事により、訂正させていただきました
いやいや、世の中広い! 素晴らしい在野の方々がいっぱいいらして、さらに、その偉業を紹介しようという探検家ジャーナリストさんもいらっしゃる!
なんて楽しいことでしょう!!