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感謝、と言葉に出すととても簡単だけど
これがなかなか出来ていない。 当たり前になっている事の、多さに自分でもびっくりする。 「有難うございます」と言葉に出してみる。 その言葉の発せられた瞬間、自分の心に身体に感謝が響く。 言葉は、波動であり、エネルギーである事を実感。 「有難うございます」と言う言葉には すごいエネルギーがある。 もう二十年も前になるが、感謝行というのをやった事がある。 掃除をしながら、「有難うございます」を唱え続ける。 何日も続けているうちに、ある日感謝の言葉が身体中にしみわたった。 畳を拭きながら、涙が溢れた。 父に対する葛藤が、涙と共に溶けてしまった。 大嫌いだった父に、尊敬する気持ちが出てきた。 こんなに良いところが有ったと、気が付くことが出来た。 思えば私を愛するあまりの、厳しさであり 縛りであった。 何で私ばかり、こんなに自由が無いのかと恨んでいた。 勿論縛られれば、反発をするから逆効果である。 今はそこまでして私を、間違った道に進ませたくない 愛の表現だったのかと思う。 そんな父がいたお蔭で、私は娘たちに信頼と自由を与える事が出来た。 駄目といった事が無く、何でも好きにさせてあげられたのは 子供を心から信頼していたから また絶対の自由の中から、本物が生まれると思えたからだ。 いけないと禁止をするから、悪い事をしないのではなく 絶対の自由の中から、自分の行動を律していける人になって欲しかったからだ。 その思いは通じて、二人とも夜遊びの心配をすることも無く育った。 なんだもっと遅くなっても良いのに、と思うくらい早く帰宅する。 そういう意味の心配を、早すぎないでしないですむのは、女の子を持つ母にとっては とても幸せなことである。 また大人になって、恋愛をして傷ついたりする事は、必要なことと思う。 大切なものを失う悲しみや苦しさは、人間を成長させてくれるエッセンスだ。 乗り越えてこそ、そして感謝にまで昇華して その体験は本当に生きてくる。 感謝があるところには、素晴らしい成長がやってくると思う。 まず自分の親に心から感謝が出来てから(生まれなかったほうが良かった?) 自分の幸せの道を、発見できるルートにたどり着いたと思う。 どんな親で有ろうと、生んでくれたご縁だけには感謝が出来るはず。 そうそう、メール相談をして来た方が 届いたと言う返事さえ来ない事が有る。(滅多には無いが) 感謝をして欲しいのでは無い。 自分の望むような答えでなかったら、気に入らなかったら 返事も出来ないと言う、心が淋しい。 その方にとって、一番必要なアドバイスが出来るように 祈る心から、生まれたお返事です。 私に従えと言うのは、カウンセリングでは有りません。 決定は勿論、その方がするのです。 でも人にものを尋ねたら、やはり普通は有難うを言いますよね。 礼儀として、届いたと言うメールくらいくださいね。 殆どの皆さんは、心温まるメールをくださいます。 とても嬉しいです。 それから、有難うございますを一日に一万回唱えると言う行をやると 癌が治る事さえある。 これも二十年前に、私の周りで流行った事が有る。 実際感謝の言葉が波動となって、自分のエネルギーを変えてしまうのだから 癌だって治るだろう。 私の父も、主人の弟も末期癌が治ってしまった。 義弟は体中に転移した、癌が消えた。 父は肝硬変が有るのに、検診では何の反応も出ず まったく元気で暮らした。 現在の医学では、考えられないと言う。 本人では無く、私が行をしたからなのだ。 エネルギーの世界は、自他一体だからこんな事が起こる。 これを偶然と言うなら、数学の確率という分野の研究は なりたたない。 父も義弟も私に、不思議な世界を見せてくれた恩人なので 心から感謝をしている。 私にエネルギーの世界の、確信をくれた人たちだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ レイキの体験集のページを新設しました。 セミナーを受講した、ヒーラーの皆さんの体験集です。 セミナーを開いてから、約一年経ちます。 初めの頃は自信を持てなかった皆さんも、今は自信を持って ヒーリングしている様子が見えます。 家庭でヒーリングできる素晴らしさを、書いてくれています。 楽しんでレイキを使っていただきたいと思います。 レイキの使い方は無限です。 ヒーラーの皆さんの、お互いのアイディアをシェアしていただいて 使い方を広げていって欲しいと思います。 投稿を楽しみに待っています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ “何しろ楽しい”お気に入り欄のさくらさんが インターネット、HPは“どこでもドアー”に似ている と掲示板に書いてくれた。 いやあ、うまいこというな。 さくらさんの日記は、“何しろ楽しい”けど深みが有る。 本当に、今パソコンに向かって思った。 この画面は世界中に繋がっているのだな。 NYの高層ビルのオフィスにも フランスの館にも 上海の美味しい料理屋にも アフリカのジャングルの中にも・・・(なわけないか) すごい時代だな。 一瞬に繋がる、オーストラリア、ベルギー、ドイツ・・・ 何秒後には、又別の国へ フロリダのキーウェストへも 画面が変わるたびに、やはり雰囲気が有る なんだか当たり前になっていた、パソコンを 改めて考えてみると 人間の超能力が、どんどん形になっている。 ドラえもんのどこでもドアーは、子供の夢だったけど パソコンは、どこでもドアーに本当に良く似ている。 ドラえもんは「ドア」ではないよね。 ドアー。 楽しいね。 人類の夢は、どんどんかなっている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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