亡き父からの電話 あんびりばぼー
このタイトルだけで、反感を持つ方もいるかも知れませんね。興味のある方だけ先に進んでください。親と言うのは、子供に対して教師の役目をします。そのまま言葉通りの意味の場合は、少ないでしょう。この世では反面教師が多いようです。ご他聞に漏れず、私の親も反面教師でした。勿論尊敬すべき部分もありますが・・・自分の親を本当に理解する事が出来た時にその親の欠点も含めて、愛する事が出来た時に今生の課題を、ほぼクリアできるのではないかと感じます。過去の日記にも、父のことは何度か書きました。大嫌いだった父が、実は私の一番の応援団長だったと感謝する事が出来るようになりました。父は大変有能な人だったと思います。しかし、この世で生きる世間的な智恵がないと言うか智恵は溢れるように有っても、実際に使う事が嫌いだった人と言った方が当たっているでしょうね。経営している会社が、家と一緒だった為に何時も不機嫌な父が事務所にいて、私は家に帰るのが嫌いな子供でした。親を嫌っている子供は、反抗的になっています。学校でも、先生の言うことに素直に従いませんし仕事でも、結婚でも人生をだんだん、自分で自虐的に壊していくような所が有ります。自分で幸せから遠ざかってしまうのです。親を嫌うと、自分の血を嫌っている事になります。自分を尊べない人間になってしまうのです。過去を振り返れば「人生灰色」になるのです。どん底に落ちた時にやっと「自分はこんな人生を望んでいたのでは無い。」と気が付いて、本当の自分を探し始める様になります。ひとは普通は余程の事がないと、それまで持っていた人生観や価値観を変えません。私も決して非科学的な事を、初めから信じていたわけではありません。ただ科学も突き詰めると、不思議な事が多いのです。精神世界に目覚めるきっかけは、人生のピンチの時が多いようです。私も、普通の幸せを夢見た1人女の子でした。結婚もして、子供も出来てから、こんな筈では無かったと気が付いたのです。それから精神世界に目を向けて、人間が生きる意味本当の人間の価値を知るようになりました。欠点だらけの、ちっぽけな存在だと思っていたそれまでの人間観が、崩れ落ちて人間の本来の姿に、感動する私に変わったのです。人間を学べば学ぶほど、その素晴らしさに心は躍りました。しかし、そんな私に徹底的なマイナス思考で水を差すのが私の父でした。どの位、父とは口論したかしれません。父は私の考えを、徹底的に批判してきました。口は開けば喧嘩になるので、それが嫌で心の中で、父がののしる言葉に反論していました。穏やかに黙って、耐えている私に、父はそれまでの私では無いものを見てくれるようになったのでしょうか。数年かかって、父を包み込めるようになった私をそのまま認めてくれるようになったのです。父は父らしく最期まで、「俺は神佛なんて信じない」「人は死んだら灰になるだけだ」と言っていました。私は、「死んだら分る」と心の中で思っていました。葬儀の後、父のお骨のある部屋で三ヶ月一緒に休みました。そしてお骨に、「お父さん、命は永遠だって分ったでしょう?」「どんな方法でも良いから、私に連絡をして!」と毎日話しかけていました。父は「そんな事、俺が知らないはず無いだろう」と笑っていたかもしれませんね。良く聞く話では、仏壇のお線香が丸く灰になったとか呼びかけると、ろうそくの炎がぱーっと燃え上がるとかそんな方法で知らせてくれるというのです。私はどんな方法でも良いから、父からの連絡が欲しいと思っていました。死後三ヶ月ぐらい経った時に、父から驚く方法で連絡があったのです。電話がかかって来たのです。それも私では無く、夫にです。きっと精神世界にのめりこんでいる私に連絡をしても客観性が無いと思ったのではないでしょうか。夫は曲がりなりにも、その頃年商数百億円の会社を経営している(サラリーマンですが)社会的に認められた存在でした。そんな夫が「僕が言うのだから」と他人に話している時にフォローしてくれました。それでも分ってくれない方は勿論いらっしゃいます。父は本当に私が精神世界を学ぶ事を、一番反対していたように思いましたがそうではなかったのです。私が理論的にきちんと人と会話できるように、父が何時も私の話の未熟な部分を教えてくれていたのでしょう。理論的に話せるようになっても、勿論信じない、理解しようとしない方は沢山いらっしゃいます。しかし聞く耳を持っている方には、きっと私の経験は良い例えになると思います。信じようと信じまいと良いのです。心のどこかに記憶として残ってくだされば。人間は永遠の存在だと言うことを。