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司馬遼太郎

司馬遼太郎しば りょうたろう
司馬遼太郎

《プロフィール》
日本人魂を呼び起こす昭和を代表する歴史作家!
1923年(大正12年)8月7日 - 1996年(平成8年)2月12日)は、日本の小説家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名は「司馬遷に及ばず」からきている。
第2次大戦に復員し陸軍少尉として終戦を迎えた。
終戦後、新聞記者となり、1960年(昭和35年)、『梟の城』で第42回直木賞を受賞をキッカケに作家生活に入る。
歴史小説家としては人物中心主義の流れを汲んでおり、直接には司馬遷における『史記』列伝の形式を範にした作家とみることができる。
後年は小説から遠ざかり随想や批評を主としたが、抽象的な思索や哲学性よりも具体的な歴史評論や文明批評を主にし、合理的思考を掲げて考証を行ったところに特徴がある。
1996年2月12日、腹部大動脈瘤破裂のため72歳で死去。命日は「菜の花忌」と呼ばれている。
翌年、司馬遼太郎記念財団ができ、司馬遼太郎賞が創設され、
2001年(平成13年)に司馬遼太郎記念館が開館。


☆ちぃぶうから一言!☆
歴史上の人物の生き様を通して、日本人としての原点に触れ、心震える感動を与える。
それは時代が流れても風化することなく、むしろなおいっそう現代を生きる私たちにも強く語り掛けるメッセージとして生々しく存在する。
私は、司馬遼太郎作品を読んで、実際に起こったことの方がはるかにドラマチックで劇的だ!と、痛感し、「事実は小説より奇なり」と言う事に気付かされた。
司馬遼太郎氏の想像力、想念は、ずば抜けた筆力により、読者一人一人の先祖にも想い馳せ、忘れてはいけない最も大事なことを語っているような気がする。
晩年の著書は、現代の人々や次世代を担う若者へ熱く語りかけている作品が多く、
大正、昭和、平成と、激動の時代をフルパワーで生き抜いた
「しばりょう」の人生そのものに感動せずにはいられない。







キラキラ星受賞作品キラキラ星


『ペルシャの幻術師』
(1956年 第8回講談倶楽部賞)


『梟の城』
(1960年 第42回直木賞)

『国盗り物語』
(1966年 第14回菊池寛賞)


『竜馬がゆく』
(1966年 第14回菊池寛賞)


『殉死』
(1967年 毎日芸術賞)


『歴史を紀行する』
(1968年 第30回文藝春秋読者賞


『世に棲む日日』
(1970年 第6回吉川英治文学賞)


『ひとびとの跫音』
(1981年 第33回読売文学賞小説賞)


『街道をゆく 南蛮のみち』
(1985年 第16回日本文学大賞学芸部門)


『ロシアについて』
(1986年 第38回読売文学賞随筆紀行賞)


『韃靼疾風録』
(1988年 第15回大佛次郎賞)



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