カテゴリ:家紋
坂本龍馬と明智光秀の家紋は「桔梗」であると、
もうずいぶん以前に司馬遼太郎のエッセイで知ってから、 ずっと頭の端っこにひっかかっていた。 明智光秀の「桔梗」 ![]() 坂本龍馬の「組み合い角に桔梗紋」 ![]() そもそも、家紋とは、 古くよりの出自といった自らの 家系、血統、家柄・地位を表すために 用いられてきた紋章である。 では、両氏は同じ血統?同じ家系? そこで、歴史のミステリー!! 龍馬の祖先の土佐の初代が太郎五郎という人で、 太郎五郎の父親が光秀の従弟で娘婿でもあり、 妻は光秀の長女(叔父の娘)の明智秀満。 その太郎五郎が、落ち武者となって土佐に逃れ、 長岡郡才谷村に住んだのが、坂本家の起こりだという。 だが、しかし、 太郎五郎の墓石には、 山城国生まれで、弘治・永禄年間(1555~1570)に 畿内から移ってきたことが記されている。 と、いうことは、 明智一族が滅亡するより、だいぶ以前であるので、 この説は否定される。 だが、しかし、 龍馬自身は、坂本という名字自体、 明智光秀の領地の坂本から採っていると、 本人も信じていて周りに言っていたらしい。 明智一族の家系であることを意識していたようなのだ。 これは、非常に奇異なことなのである。 と言うのも、 「本能寺の変」以来、明智一族は"逆臣"として、 その姓も忌み嫌われていたのだ。 仮に本当に明智一族の家系であったとしても、 龍馬が自ら進んで"桔梗紋"を堂々と使っていたことに、 かれの異端児ぶりを窺い知ることができるのではないか。 で、また仮に明智一族の家系であるなら、 光秀が信長を"不意討ち"し、 その子孫であるかもれない坂本龍馬が、 突然の"不意討ち"で落命したことは、 皮肉な因果関係なのでは??とも思える。 「本能寺の変」から、285年後に龍馬暗殺。 龍馬を暗殺したのは、 ひょっとして、信長の子孫か!? なんて、思ってしまった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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