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2011/03/09
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カテゴリ:家紋
坂本龍馬と明智光秀の家紋は「桔梗」であると、

もうずいぶん以前に司馬遼太郎のエッセイで知ってから、

ずっと頭の端っこにひっかかっていた。


明智光秀の「桔梗」

桔梗


坂本龍馬の「組み合い角に桔梗紋」

違枡桔梗紋



そもそも、家紋かもんとは、

古くよりの出自といった自らの

家系、血統、家柄・地位を表すために

用いられてきた紋章である。



では、両氏は同じ血統?同じ家系?



そこで、歴史のミステリー!!


龍馬の祖先の土佐の初代が太郎五郎という人で、

太郎五郎の父親が光秀の従弟で娘婿でもあり、

妻は光秀の長女(叔父の娘)の明智秀満。

その太郎五郎が、落ち武者となって土佐に逃れ、

長岡郡才谷村に住んだのが、坂本家の起こりだという。


だが、しかし、


太郎五郎の墓石には、

山城国生まれで、弘治・永禄年間(1555~1570)に

畿内から移ってきたことが記されている。



と、いうことは、



明智一族が滅亡するより、だいぶ以前であるので、

この説は否定される。



だが、しかし、



龍馬自身は、坂本という名字自体、

明智光秀の領地の坂本から採っていると、

本人も信じていて周りに言っていたらしい。



明智一族の家系であることを意識していたようなのだ。



これは、非常に奇異なことなのである。


と言うのも、

「本能寺の変」以来、明智一族は"逆臣"として、

その姓も忌み嫌われていたのだ。


仮に本当に明智一族の家系であったとしても、

龍馬が自ら進んで"桔梗紋"を堂々と使っていたことに、

かれの異端児ぶりを窺い知ることができるのではないか。



で、また仮に明智一族の家系であるなら、

光秀が信長を"不意討ち"し、

その子孫であるかもれない坂本龍馬が、

突然の"不意討ち"で落命したことは、

皮肉な因果関係なのでは??とも思える。



「本能寺の変」から、285年後に龍馬暗殺。



龍馬を暗殺したのは、

ひょっとして、信長の子孫か!?


なんて、思ってしまった。











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Last updated  2011/03/09 12:41:51 PM
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