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2011/05/23
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カテゴリ:歴史あれこれ

秀吉は異常なほどに「情が深い」


------引用文------------

秀吉の異常さのひとつは、

その情愛のふかすぎることであろう。

壮年のころはそれを自制した。

晩年にそのたががゆるんだ。

-----------------------


それぞれの養子たちに、愛情をそそいだのも本心であり、

また、逆に、

無常に突き放すのも本心である。


養子のひとりである、

徳川家康の実子、結城家康は、

実父の家康よりも、この養父・秀吉に愛情を感じ、

慕っていたようだ。


また、晩年、秀次に対して、

その子(4男1女)及び正室・側室・侍女ら併せて39名を

ことごとく執拗なまでに処刑したのも、

秀吉である。



その背景を語るには、

秀吉が、いかに無類の女好きであったか、

という事から始めねばならない。



それも、高貴な女が大好きだった。

側室は、堂々たる面々だ。

正室
北政所

杉原定利の娘

淀殿

浅井長政の娘・茶々

南殿

浅井家縁の娘

徳子

孝蔵主の弟・川副正俊の娘

南の局

山名豊国の娘

松の丸殿

京極高吉の娘・竜子

加賀殿

前田利家娘・摩阿

甲斐姫

成田氏長の娘

三の丸殿

織田信長の娘

三条殿

蒲生賢秀の娘・とら

姫路殿

織田信包の娘

広沢局

名護屋経勝の娘

月桂院

足利頼純の娘・嶋子

安楽院

地侍の娘。お種の方、香の前とも

円融院

三浦能登守の娘・おふく(法鮮尼)。宇喜多秀家の母)




あきれた!!

主君・織田信長の娘と孫にまで手をつけている!!

なんて大胆!!


これは、

自身の出自が卑しいがための

秀吉のコンプレックスの表れだ。



こんなに側室がいても、

一人一人に細やかな気遣いを見せる。


とてもマメで器用な秀吉は、

"憎めない人"であったようだ。




この中から、どうしても二人の女性をクローズアップしなければならない。

北の政所(おね)
北の政所

秀吉の正室であり、

貧困時代から苦楽を共にし、

内助の功で、豊臣政権を築き上げた女性。

秀吉は、誰よりも彼女を立て、

誰よりも必要とし、

誰よりも彼女そのものを愛し続けた。




淀君(茶々)
淀君

秀吉の側室ではあるが、

憧れの「お市の方」の長女であり、

よく似た美貌の持ち主であり、

極めつけは、秀吉の子・秀頼を生むことで、

特別な存在となる。

彼女そのものというより、

その血統を愛したのではないか?






淀君から実子・秀頼が誕生することによって、

大きく歴史は変わる。


老年になって子供に恵まれたら、

現代の男性でも、愛おしさのあまり、狂うのではないだろうか。


秀吉は、狂ってしまった。

また、あせった。


その時から、秀吉の「情の深さ」秀頼一点のみに絞られる。



そこで、いろんな説がある。


果たして、秀頼は本当に秀吉の実子なのか???


私は違うと思う。


こんなに沢山の側室がいて、

秀吉はメッチャクチャスケベ親父なのに、

誰一人として、子供ができなかった。


なのに、

どうして淀君にだけできる!?

しかも、2回も!!(一人目は幼年期に病死)


あまりにも不自然で、おかしすぎる!!



では誰の子??


父親は誰か?という事になる



「大野冶長」である可能性が高い。


彼は、淀殿の乳母である大蔵卿局の子であり、

秀吉の死後も、

最期まで秀頼の側近として仕えている。


最も有力な説だと思う。


そこで、もう一つの大きな疑問!


秀吉はこの事を、知っていたか?知らなかったか?



あの抜け目のない秀吉が、

全く気付かないわけはないと思える。

が、

この時期はかなり老耄していたので、

喜びのあまり、全く疑わなかったか??


豊臣政権存続の為に、

知った上で実子と信じたふりをしていたのなら、

なかなかの大した役者だ。立派なものだ!!


でも、


知らなかったのなら、

最期の最期まで、秀頼を溺愛し、

豊臣の行く末を案じた秀吉は、

あまりにも哀れで、

一時の華やかな頃を思うと、

とてもとても、惨めだ。






天下分け目の「関ヶ原の戦い」も、

裏を返せば、実のところ、

この彼女達の戦いとも言えるのだ。


北の政所VS淀君=関ヶ原の戦い


もう少し詳しく言うと、


北の政所率いる尾張系武将の福島正則、加藤清正

       VS

淀君率いる近江系武将の石田三成、長束正家



という、豊臣家の分裂が秀吉の死後に浮き彫りになり、

そこに徳川家康がつけ込んだ戦だった。


「秀吉」という支柱がなくなれば、

崩れるべきして崩れてしまうのが、自然だった。



------引用文-------------

豊臣家の栄華は、

秀吉という天才が生んだ

ひとひらの幻影のようであったとすら思える。

------------------------


北の政所は、

豊臣が滅んだ後も、

徳川家康に大事にされ、

長生きしている。


彼女の時代を見る慧眼と立ち回りの良さは、

一見、その気さくな雰囲気の裏にある

究極な"女のしたたかさ"を感じずにはいられない。

 

この二人の女の戦いは、

おねの完全なる勝利なのだ!



今年の大河ドラマ「江~」も、

かなり脱線はしているが、

彼女たちの今後の戦いをどう描くかが見ものだ!



きっと、

少女マンガのように、

きれいごとで片付けるんやろーな…




このことに関しては、

まだまだ詳しく語りたいことはあるけど、

キリがないので、このへんでやめておく。







 






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Last updated  2011/05/23 01:29:04 PM
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