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カテゴリ:お詣りと御朱印
間にシロバナタンポポがお邪魔しましたが、燈明寺の日記、続きです。
総武線平井駅の北側にある燈明寺は、妻沼聖天(埼玉)、待乳山(まっちやま)聖天(浅草)と並ぶ関東三聖天のひとつで、平井聖天(ひらいしょうてん)とも呼ばれています(なんだか平井商店さんみたいでちょっと可笑しいですいけど)。東京の下町の、特に有名と言う訳でもないこの町にあるのが少々不思議に思えるほど立派なお寺です。この説明板にもあるように、将軍のお鷹狩の休憩所として利用された場所だそうです。 境内にいた方のお話では、三代将軍吉宗のとき、お鷹狩の鷹の一羽がこちらに迷い込み手厚く保護されていたことがきっかけで徳川家の庇護を受けるようになったとのこと。 また、江戸時代は、士分の人たちがお詣りする聖天様だったとも仰っていました。 帰宅してから調べてみると、聖天様は、『天部の仏様』たち(っていうのがどういうお方なのか、わたしに聞かないでくださいね)のひとりで、殊のほか力が強いようで、「どんな無理な願い事もかなえてくれる反面、約束を違えた時の罰はそれは恐ろしい」と信じられているそうです。 この聖天(歓喜天)信仰は、江戸時代、爆発的に流行したといい、歓喜天様をお祭りしているお寺は今でもたくさんあります。 その代表が「○○聖天」と呼ばれるお寺なのでしょう。 身分によってお参りするお寺が違っていたというのは、どこにも書かれていませんでしたが、農民は妻沼(埼玉)、待乳山(浅草)は商人と、決まっていたとその方は仰っていました。 ただ、↑の説明文には、多くの文人墨客が参詣したとも書かれていて、武士以外の人たちも参詣した様子がうかがえます。偶々そこにいらした方が言っただけのことですから、あまり詮索しても仕方ないですね。 で、説明文の最後に書かれている伊藤左千夫設計の茶室というのは、こちらです。 ![]() 山門を入るとすぐ右にこの説明板、左にお茶室があり、正面突き当りに立派なお堂が見えます。こちらが聖天堂で、聖天(歓喜天)様が祀られているようです。 そして右手には、金堂。金堂にはご本尊の不動明王が祀られているそうです。関東大震災で焼失しましたが、昭和4年から建設を始められ、49年まで、45年をかけて完成されたそうです。コンクリート造りの一階部分の上の2階部分、この総欅造りの部分が金堂で、外観は、京都の東寺金堂や、平等院と同じ三ツ屋根造りというそうです。 そして金堂の中には、なぁんと ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 境内には、他にも、御朱印も戴きたかったし、できればシャンデリアも、あちこちに素晴らしいと書かれている金堂の内部も拝見させていただきたいと思ったのですが、先ほどの男性に伺ったら、今日は住職さんがお留守とのこと。 なので、それらはまた今度出直して来たときの楽しみ、ということにしました。 御朱印が戴けなくてちょっと消沈しつつも、聖天様とお不動様とにお願い事をさせていただいたので、まあよしとしましょうと思って山門から出ると、「良い心掛けじゃ!」と仁王様が見送ってくださいました。 って嘘ですけど、お詣りの事は本当。 先日お見舞いに行った大阪の義兄の事、ブロ友さんのお嬢さんの出産の事、前の3つのお寺さんからずっとお願いしてきたのだけど、仏様たち、怒ったりなさいませんよね? どこやらの神様とは違って、日本の仏様や神様は寛大で鷹揚って信じてますから。 こちらの聖天様があまり立派なので、つい力が入り、字数も写真も使いすぎました。 もう少し続きがあるのですが、続きの分はもう入りきらないみたいです。 もう一回引っ張らせていただいて、この続きはまたまた明日、とさせていただきますね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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