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カテゴリ:思ったこと、いろいろ
身の周りにモノがあふれ、モノが多すぎて困っているという人がたくさんいますよね。
雑誌を読まないわたしですが、最近「スッキリ暮らす」みたいなタイトルが目に留まることが多いような気がします。 溜め込みすぎて「困った人」になっちゃってる人のことも良くテレビなどで取り上げられます。 ゴミ屋敷とか。 物をたくさん持ってるのは決して良いことじゃないという考えが、最近の世の主流なのかもしれません。 断捨離という言葉が流行ったりもしているようです。 そんな今日この頃、反感覚悟で書いちゃいますが、わたしは断捨離って言葉に魅力を感じません。 というか好きじゃないのです。 わたし自身はそれほど溜め込み屋ではないと思いますが、捨て上手、整理上手とも言えません。 大事に大事に数年間とっておいたものを、挙句に捨てちゃうことも珍しくはないし。 でも、例えば2年着なかった洋服をまた着るなんてナイから捨てるべきとか、よく聞きますけど、わたしそれも信じられないのです。 わたしが今よく着ている洋服には、10年選手がたくさんいます。 あ、ちょっと見栄張っちゃいました、20年物とかも結構あります。 いちばん古いのは40年前のものです。 10年、20年ずっと愛用したというのではなく、大体は「押し入れの段ボールの中で眠っていた数年の後、今愛用」という感じで、あるものは、一時大好きで頻繁に着ていたけれど飽きてあまり着なくなっちゃって、だけどやはり好きで捨てられなかったもの。 またある物は、気に入って買ったけれど、上手く着られなくて、でもやはり好きで捨てられなかったもの。 どれも、ある時ふと思い出して、あれに合わせたら良さそうと思い付いて、試してみたらヤッパリ!!となってそれ以来愛用しているとか、大体そんなふうです。 立派な考え方とか、生活哲学みたいなものは、欠片もありません。 でも、色んなつまらない物語や歴史がたくさんありまして、やっぱり捨てなくてよかった!と思ったことが何度あったか知れません。 だからと言って何年も着られることなく段ボールやタンスの中で眠っているものたちが、どれも全部好きで気に入って買ったもの、すごく愛着のある物ばかり。。。。。かと言えばそんなこともありません。 無駄遣い、はっきり言えば衝動買いをしたものが、いっぱいイッパイあり、それらの多くは何年か死蔵されて、やがて捨てられていきます。 そういう無駄遣いを良いと思っているわけではなく、むしろ忸怩たる思いで、もっと賢くならなくちゃと真剣に反省します。それはもう、しょっちゅうします。 断捨離の断は恐らくそういうこと、本当に必要なわけではないものと断絶するとか、生活に入れないようにすることかなと思います。 で、入って来ちゃったけど、必要ないと判断したものを思い切って捨てるのが「捨」で、もの、物欲、所有欲から離れることが「離」でしょうか。 わたしだって、それは正しいことだなあって思います。 思うのですけど、わたしは、どちらかというと物にもご縁を感じちゃったりするタチなので、モノと出会って、好きだ!ほしい!!と感じると、これが出会ってしまったご縁というものよねとか思ってしまって、なるべく頑張って買えるものなら買おうと、そっちに行ってしまうのです。 ご縁と思ったのは、わたしの勘違いでした、すみませんと、処分する羽目になることも、上に書いたように少なくないのですが、どうにも学ばないヤツで、すぐにまた、ご縁だわ!とやってしまいます。 断捨離という言葉は、モノに対する執着を「断ち」、「捨て」、「離れる」ということなんでしょうが、わたしの執着はモノではなく、ご縁とか出会いとかに対してなのかもしれません。 仏教用語では執着(しゅうじゃく)は、すべて苦の根源らしいのですが、普通の日本語で言う執着がそんなに悪いものだとは、わたしには思えないのです。 いい具合に執着するなら、それは、むしろ大切なんじゃないかと思うのです。 必要か必要じゃないかっていう考え方に、わたしは馴染めないようです。 わたしだって、何かを買うとき、考えますよ、「それ、本当にいるの?」って。 いる!っと思って買うわけで、時にはまあ失敗もあるわけですけど、好きだ、欲しいと思って買ったのなら、失敗したと思ってもできる限り大事に使えばいいと思うのです。 責任もって使ってあげないと、モノもかわいそうですしね。 それに、必要なもの、自分が最高と思えるモノだけで身の周りを固めるって、カッコいいけど、完璧にそうしたら、わたしなら息苦しくなってしまいそうな気がします。 最後のところで根性なしなんでしょうか、そういうムダのない人生を送るぞ!!って思えないのです。 最近は人間関係の断捨離なんてことを言う人さえいるようで、それって何?と思ってしまいます。 必要なヒトとだけ付き合っていくの? そりゃあ、その人のためにならない人間っていうのもいて、そういうヒトはいくら好きでも手放さないといけない。 確かにそうですけど、だからと言って、その人と付き合うことが自分には必要かどうかって、いつもキッチリ測って付き合い始めるとか、そういうのはわたしにはできそうにありません。 だって、そんなのつまらないじゃないですか。 逆の立場で、自分がいつもそういう風にはかられていたらと思うと、それも辛いです。 結局、わたしには、断捨離とはまるで縁のない、ゴチャゴチャして無駄だらけの今の生活が快いということなのでしょう。 これがいいんだ!と言い張ってるけど、実はこれしかできないだけなのかもしれません。 ただ、 カッコ良くなくてもいい、でも、楽しいのが良い。 無駄は気にならない、でも気持ちがいいのが良い。 これはわたしの本音という気がしています。 、 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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