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カテゴリ:小説
どう考えても納得できない。
けど、どう言えば辞めなくて済むのかも分からない。 …そうだ。桃子はどう思うだろう。よりによってこのタイミング。 私が選手に漏れたから辞めると言い出したと思わないだろうか? 本当の理由を話した所で、やっぱり少しはその理由も入っているんじゃないかと 勘ぐってしまうんじゃないだろうか? 第一、父が刑務所を経営している事は、誰にも話してはいけないと固く口止めされている。 その事は教師の間でもごく限られた人物しか知らされていない。 そういう無理を通す為に、おじい様の友人が理事長と校長を兼任する今の学校に 通っているのだ。 父にとって、父の会社にとって、自分は正しくアキレス腱なのだ。 生き甲斐を無くして、その上、桃子との友情にまでひびが入ってしまったら 自分はこの先どうやって生きて行ったら良いのだろう? 枕を顔に押し当てて、一晩中泣き明かしてしまった。 自分は酷い顔をしているだろう。目なんか痛くて殆ど開けられない。 部屋から出る気も起きず、由紀が声を掛けてくれても返事をする事も出来なかった。 気力も体力も抜け落ちてしまったようだ。 頭痛がひどい。 声を掛けるのを諦めた由紀の足音がリビングの方へと遠のいていく。 それから結局ずっと清水は部活を休み、部屋に籠もった。 虚しい時間だけが過ぎていく。涙も涸れ果てた。 直ぐにでも鍛錬を始めると言っていた絃冶も、何も言わなかった。 その間、昼も夜もずっと自分の事ばかりを考えていた清水は1週間が過ぎた頃 唐突に明美の事を思い出した。「明美ちゃん…」 どうしているだろう。 父の会社の所為(せい)で、もの凄く怖い思いをした筈だ。 ご両親が付いているとは言え、心細く思っているだろう。 会いに行かなくては。 重い心と体を引き摺(ず)りながら、清水はごく簡単に出掛ける仕度(したく)をした。 今まで失念していたなんて、最低だ。 唇をキュッと噛み締め、ドアを開ける。 ドアの音に由紀が慌てて顔を出した。 「清水さん、出掛けるの?」 「…うん…。」 「ちょっと待って、これを持って行って」パタパタとリビングに急いで戻っていった 由紀は、手にスタンガンを持って出てきた。 少し迷ったが「…うん」それを受け取るとバックに仕舞った。 「ちょっと…明美ちゃんのお見舞いに行ってくるわ」それだけ言うと、何となく 気まずくて由紀と目を合わせられないまま「行ってきます」とだけ言うと玄関を出た。 「いってらっしゃい」気遣わしげな由紀の声が聞こえた。 なるべく人通りの多い道を選んだほうが良いのだろうか…などと考えながらも 遠回りをする気力も無く、いつもは使わないがタクシーを捕まえることにした。 大通りに出ると程なくして、タクシーに乗り込むことが出来た。 歩いている時は辺りをそれとなく気にしてはいたが、 座席に座ってしまうと、頭の中を占めるのは、やはり部活の事ばかりだった。 はじめて父さんの仕事を疎ましく思ったりもした。 何故、自分がこんな目に遭わなくてはいけないのか…。 優しい父。本当に自分が人質にされてしまったら…社長としての立場との板挟みで、 苦しむだろう。それは十分に分かっている。 考えはあの時から堂々巡りを繰り返している。 答えは出ない。 いや…選択の余地は無いのかもしれない。自分で認められないだけで。 窓の外に目を向けていた清水は、大分走った所で、 自分が見舞いの品も用意していない事に気付き、 慌てて明美の好きなスイーツの店の名を告げて寄ってもらうように運転手に頼んだ。 藤堂のマンションに着いた清水は、マンション入り口のガラス戸に映る自分の姿を 念のためチェックしてから、藤堂の部屋のボタンを押した。 「はい」インターホンに藤堂のおばさんが出てくれた。 「こんにちは、清水です。突然すみません。明美さんのお見舞いに…」 「あら、清水ちゃん。どうぞ、上がってらして」自動ドアのロックを開けてくれる。 エントランスでいつものコンシェルジュが笑顔で出迎えてくれた。 そのままエレベーターに乗り込もうとすると、コンシェルジュは 「お部屋までご一緒させていただきます」と言って一緒にエレベーターに乗り込んできた。 こんな事は初めてだ。少し警戒心がムクムク頭をもたげたが、 襟の紋章が見慣れた父の会社の物なのを見て、このビルのセキュリティーを 父の会社が請け負っている事を思い出し、ひとまず言う通りにした。 それでもかばんの中の、スタンガンをギュッと握る。 斜め後ろに立ち、彼女を観察する。 華奢に見えるけど、この人も何か武術を習っているのだろうか? そんな事を考えている間に最上階でエレベーターが停まった。 彼女は外を確認すると先に出てドアを押さえてくれた。 「どうぞ」 「ありがとうございます。もうここで…」断りかけたが、 コンシェルジュはニコリと微笑んだだけで、付いてきた。 部屋の前まで来るとおばさんが出迎えてくれた。 「いらっしゃい、清水ちゃん。よく来てくれたわね」 突然の来訪にもかかわらず快く招き入れてくれる。 部屋に入りながら後ろを見ると彼女はドアの横で周囲に気を配っていた。 「ありがとう。ご苦労様です」おばさんは彼女に声を掛けるとドアを閉めた。 パタン。ドアが閉まる。室内の見通せるところには誰の姿も見えない。 シンと静まり返っていた。 「さぁ、どうぞ上がって」そういっておばさんはリビングへと通してくれた。 「あの、おじ様は…」藤堂氏の姿が見えない。 「あぁ、もう一昨日から出社しているの。 社長はもう少し明美の側にって仰ってくださったんだけど…」 「そうですか…あ、あの、これお見舞いというか…」 来る途中に用意したお菓子を手渡した。 「まぁ、ありがとう。さぁ座って。外、暑かったでしょう?今冷たい物でも入れるね」 とソファを勧めてくれた。 「はい」ソファに座っておばさんを待つ。 アイスティを淹(い)れて、戻ってきたおばさんに「あの…明美ちゃんは?」と聞いてみる。 「ごめんなさいね。退院してから滅多に部屋から出て来なくて。 別に閉じ篭っているとか、私達が入るのを嫌がるとか言うんじゃないんだけど」 ふぅと小さくため息をついた。 「あ、まだそんなに日にち経っていないのに私ったら。」 思いつきで急に訪ねた事を謝った。 「ううん、凄く嬉しいねんよ。気に掛けてくれてありがとうね。 今、明美に声を掛けてくるから、待っててね」と言って腰を上げた。 「あ、いえ。今日はこのまま帰ります。明美ちゃんにはまた日を改めて 会いに来ますから」と慌てて断ったが 「大丈夫。少し待ってて。清水ちゃんが来てくれたのに、 このまま知らせずに帰ったとなったら、後から私が怒られちゃう」と笑顔でいうと 明美の部屋へと行ってしまった。 いたたまれない気持ちのまま、待っていると、程なく戻ってきたおばさんは 「明美が清水ちゃんに自分の部屋に来て欲しいって言ってるんやけど、良い?」と聞いた。 「あ、はい」急いで立ち上がり、後ろを付いて行く。 部屋の前まで来ておばさんが清水に譲ったので、ノックする。 コンコン…「明美ちゃん?」声を掛けると、 「はい、どうぞ。」思ったよりも力強い声が返ってきた。 清水ちゃん達の事、もっと他の方にも知っていただきたいので、宜しかったらポチッとお願いします にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.07.01 07:35:23
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