|
カテゴリ:使徒行伝とパウロの活躍
(^^)【キリスト教】の歴史の中でも、【福音書】と共に、最も重要な書である~ 【使徒行伝】 ”1~12章”は【エルサレム教会】を舞台として、【エルサレム教会】の確立が描かれ・・ そして【13章~14章】 はいよいよ【使徒パウロの第1回宣教旅行】が描かれています。 上の地図の【赤線】で描かれて所が、【使徒パウロ】が【バブナバ】と共に、 『第1回目の宣教旅行』をした場所です。 (使徒行伝13章1~3節) 『さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。 彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と言われた。 そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから送りだした。』 このように【聖霊】の啓示を受けて、 【サウロ(後の使徒パウロ)】と【バルナバ(慰めの子と呼ばれた)弟子】は、神様によって”聖別”され、 【第一回の宣教旅行】に出かける事になりました。 (^^)このようにして、【アンティオケ教会】を中心にさらに、【キリストの福音】が広がって行くさまが、描かれているのです。 【第1回伝道旅行】は、2回目よりも短い旅行ですが、距離にして1200kmにも達すると言われ、確かに、【トルコ】を旅していても、地図で見るよりも、遥かに大きな国で、【パウロ】がどれほど遠い旅路を歩いたか、その途方も無い”荒れ地”と”距離”に驚愕せざるおえません。 (使徒行伝13章4~5章) 『ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った。 サラミスに着くと、ユダヤの諸会堂で神のことばを宣べ始めた。彼らはヨハネを助手として連れていた。』 ○「セルキヤ」~”アンティオケ”の上の方にあった町。 (「セルキヤ」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%82%A6%E3%82%AD%E3%82%A2) ○「キプロス」~『地中海のキプロス島』 『キプロス島』は、【パウロ】と【バルナバ】の生まれ故郷である、美しい地中海の島です。 ○『キプロスのサラミス』~『サラミス』はキプロス島の町であり、現在も巨大な遺跡が残る。 『サラミス』は、ギリシャ時代から栄えた【都市国家】で、かなり大規模な街であった事が解る。 この【サラミス】で、【パウロ】と【バルナバ】そして、【ヨハネ・マルコ】(マルコ福音書の著者)は、ユダヤ人の会堂で教えました。 ★「サラミス」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%82%B9_(%E3%82%AD%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B9%E5%B3%B6) 【第1回宣教旅行】で、最初に訪れたのは、【キプロス島の大きな街サラミス】でした。 ここでは「偽預言者で魔術師の”バル・イエス”」を一行はやっつけます。 彼は【聖霊に満ちたパウロ】に睨みつけられ、たちまち目が見えなくなりました。 【キプロス島】全体を巡回指導した一行は、パボスという町から出帆し、【パンフリヤ】(現トルコ南部)の【ペルガ】(perga)という町に到着します。 ここで何故か【ヨハネ・マルコ】は、彼らに従わず、【エルサレム】に帰ってしまいます。 (^^)実は【マルコ】は【福音書】を執筆する為に、【イスラエル】に帰ったと言われています。 しかし、後にこの事を【パウロ】は怒っていて、【マルコ】を連れていかないと、【バルナバ】と対立する事になります。 ★【パンフリヤ】~『ローマ帝国の属州、現トルコ南部』 ★【ペルガ】~”ギリシャの偉大な数学者アポロニウスが生まれた町。 大きな遺跡があります。 (「perga」英語ですが、上の地図の港町として記載されています。上の図は【使徒パウロ】の旅のルートです。) 【パウロ】と【バルナバ】は、内陸を通り、【ピシデヤのアンテオケ】を訪れています。 この距離も地図では短いですが、相当な長い旅路である訳で・・(トルコを見れば解る) ○【ピシデヤのアンテオケ】~「ローマ帝国」の前の時代に一帯を支配していた【セレウコス朝ペルシャ】の【王アンティオコス】にちなんでつけられた街の名前で、いくつか存在する。 【パウロ】が本拠地としたのは【シリヤのアンテオケ】と呼ばれた。 ここ【ピシデヤ】にも【アンテオケ】という町があった。 【ピシデヤのアンテオケ】 のユダヤ人の会堂で、【パウロ】は聖書を紐ときながら、【イエスの救い】を大胆に語りました。 (使徒行伝13章42節) 『ふたりが会堂を出るとき、人々は、次の安息日にも同じ事について話してくれるように頼んだ。会堂の集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちが、パウロとバルナバについて来たので、ふたりは彼らと話し合って、いつまでも神の恵みにとどまっているように勧めた。』 (使徒行伝13章44~45節) 『次の安息日には、ほとんど町中の人が、神の言葉を聞きに集まって来た。 しかし、この群衆を見たユダヤ人たちは、ねたみに燃え、パウロの話に反対して、口ぎたなく罵った。』 このように多くの会衆を導く『パウロ』ですが、ねたみに燃え敵対するユダヤ人達の反抗と迫害がありました。 【パウロ】は彼らに「本来はあなたがたに語られるみ言葉だが、私は”異邦人”の方へ向かおう。 と語り、多くの【異邦人】が信仰に入り、神を賛美しました。 ところがユダヤ人達は人々を扇動して、二人を追い出してしまいました。 (「ピシデヤーアンテオケ遺跡」) 「ピシディアのアンテオケ」は、現在のトルコの【ヤルバック】(YALVAC)という町だそうで、大きな遺跡が残されています。 【YALVAC】の意味には【使徒】という意味があるそうで、ここで【使徒パウロ】の宣教が行われた事が想像できますね。 (荒涼としたトルコの荒れ地は、「パウロ」らが、どれほど過酷な旅を続けていたか?を想像できます。) ★(資料)ブログhttps://ameblo.jp/temasatravel/entry-11511402854.html 【使徒行伝14章】 【ピシデヤのアンテオケ】を去った2人は、 【イコニオム】へ向かいました。 (^^)ここは、私が【トルコ旅行】で訪れた【コンヤ】という有名な街です。 (どうぞ、【コンヤ】の旅行記を参照下さい。) ★【コンヤ】https://www.google.com/maps/place/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3+%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A4%E7%9C%8C+%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A4/@37.8746429,32.4931554,3a,75y,90h,90t/data=!3m8!1e1!3m6!1sAF1QipMeYaVikvFQrt7KatPALeMl-rK7tt4HJI5kxZuC!2e10!3e11!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipMeYaVikvFQrt7KatPALeMl-rK7tt4HJI5kxZuC%3Dw211-h120-k-no-pi0-ya136.5-ro0-fo100!7i4096!8i2048!4m5!3m4!1s0x14d08568d615f745:0x240dd0fc08060967!8m2!3d37.8748534!4d32.4920654 (^^)現代の【コンヤ】(イコニオム)の町です。 【イコニオム】は、【使徒パウロ】の宣教でも中心的な街となり、何回か繰り返し訪れています。 現代はすっかり【イスラム教文化】の町となっていて、ちょっと悲しい【コンヤ】です。 (使徒行伝14章1節) 『イコニオムでも、二人は連れ立ってユダヤ人の会堂に入り、話をすると、ユダヤ人もギリシャ人も多くの人が信仰に入った。』 【使徒パウロ】と【バルナバ】は、このように聖霊様の働きも豊かに、大胆に語り、多くの信徒を得ていたのですが、まるでそれを妨害する「悪魔の策略」のように、敵方の「ユダヤ人」の攻撃も凄まじいものでした。 (使徒行伝14章2節) 『しかし、信じようとしなユダヤ人たちは、異邦人たちをそそのかし、兄弟たちに対して悪意を抱かせた。 それでも、二人は長らく滞在し、主によって大胆に語った。主は彼らの手にしるしと不思議な技を行わせ、御恵みの言葉を証明された。 ところが、町の人々は二派に分かれ、ある者はユダヤ人の側につき、ある者は使徒たちの側についた。 異邦人たちとユダヤ人たちが彼らの指導者たちといっしょになって、使徒たちをはずかしめて、石打ちにしようと企てたとき、ふたりはそれを知って、ルカオニヤの町である、ルステラとデルベ、およびその付近の地方に難を避け、そこで福音の宣教を続けた。』 2人を妨害する力は強く、二人は危険を感じて付近の町へと逃れて行きます。 『ルカオニヤ地方』とは、先で 【ガラテヤ地方】となる一帯を指しているそうです。 (【キリキヤ】(聖書出)とも言われた。) ○『ルステラ』~【ガラテヤ地方】の町の名前。 【コンヤ】(イコニオム)から30km離れたHatunsarayの村の1・5kmの丘であると、言われている。 (「ルステラの丘」) ★「ルステラ」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A9 ○【デルベ】 http://scriptures.lds.org/jpn/biblemaps/13 これらは【イコニオム】付近の【トルコ南部】の内陸の町です。 【ルステラ】で・・ 『足のなえた男』を【パウロ】が癒す奇跡を見た群衆は二人を【ゼウス】と【ヘルメス】という『ギリシャ神話』の名前で呼び、【パウロ】を怒らせる。 (使徒行伝14章11~15節) 『パウロのした事を見た群衆は、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、我々のところにお下りになった。」と叫んだ。 そしてバルナバをゼウスと呼び、パウロが主に話す人だったので、ヘルメスと呼んだ。 すると町の門にあるゼウス神殿の祭司は、雄牛数頭と、花飾りを門の前に携えてきて、群衆と一緒にいけにえをささげようとした。 これを聞いた使徒たち、バルナバとパウロは、衣を裂いて群衆の中に駆け込み、叫びながら、 言った。 「みなさん、どうしてこんな事をするのですか。 私たちも皆さんと同じ人間です。 そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨て、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった、生ける神に立ちかえるように、福音を宣べ伝えている者たちです。』 このようにして、二人は群衆を教えていましたが、『ビシテヤのアンテオケとイコニオム』から、追ってきたユダヤ人達が、群衆を抱き込んで 【パウロ】を石打ちの刑にしてしまいます。 【パウロ】は酷い目に会って、死んだと思われましたが、彼は立ちあがって、翌日には【バルナバ】と『デルベ』へ向かいました。 そして【ルステラ】【イコニオム】【アンテオケ(ビシデヤ)】へ引き返した。 (使徒行伝14章22~23節) 『弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりととどまるように勧め、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない。」と言った。 また、彼らのために、教会ごとに長老を選び、断食して祈って後、彼らをその信じている主に委ねた。』 (^^)殺されそうな危険な目に会っても、【使徒パウロ】の心は揺るがず、引き返した町の教会組織を強め(長老の任命)教会を確立して行きました。 二人はビシテヤを通り【パンフリヤ】に着き、【ペルガ】で再度御言葉を語って、アタリヤから船出して、【シリヤのアンテオケ教会】へ戻りました。 そして、【アンテオケ教会】に『宣教旅行』の成果を伝え、また長い期間弟子達と共に、そこですごしました。 (使徒行伝14章26~28節) 【それから船でアンテオケに帰った。そこは、彼らがいま成し遂げた働きのために、以前神の恵みにゆだねられ送り出されたところである。 そこに着くと、教会の人々を集め、神が彼らと共ににいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。 そして、彼らはかなり長い期間を弟子たちと共に過ごした。』 (^^)こうして【使徒パウロ】と【バブナバ】の【第1回目の宣教旅行】が終わりました。 このようにして、【使徒パウロ】は、次々に【小アジヤ】(現トルコ)に【教会】を創って行ったのです。【パウロ】の旅は1200kmもの長距離に及び(鹿児島ー函館)、荒れ野を長い時間かけて歩き、また命の危険にさらされる大変な旅でありました。 【使徒パウロ】は又、【聖霊様】に選ばれて進んでいたのです。 (^^)凄いですね。 広い広い【トルコ】を・・ 小さな人間【パウロ】が一歩一歩開拓宣教して行ったのですから、驚くべき事です。 この小さな一歩がやがて、【ローマ帝国】全体に広がってゆく訳です。 忘れてはならないのは、多くの信徒達もそれぞれで宣教した事でしょう。 その為短期間に、凄い勢いで【キリストの福音】は宣教されて行くのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
March 7, 2019 09:15:54 PM
[使徒行伝とパウロの活躍] カテゴリの最新記事
|