『エペソ人への手紙9』♪
(エペソ人への手紙6章)『子供たちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しい事だからです。「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたは幸せになり、地上で長生きをする。」という約束です。父たちよ。あなたがたも、子供を怒らせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。奴隷たちよ。あなたがたは、主に従うように、恐れおののいて、真心から地上の主人に従いなさい。人のご機嫌とりのような、うわべだけの仕え方ではなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行い、人にではなく、主に仕えるように、善意を持って仕えなさい。良い事を行えば、奴隷であっても、自由人であっても、それぞれの報いを主から受ける事をあなたがは知っています。主人達よ。あなたがたも、奴隷に対して同じようにふるまいなさい。脅す事はやめなさい。あなたがたは、彼らとあなたがたの主が天におられ、主は人を差別される事が無い事を知っているのですから。終わりに言います。『主にあって、その大能の力によって強められなさい。』悪魔の策略に対して、立ち向かう事が出来るように、神のすべての武具を身につけなさい。私達の格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗闇の世界の支配者達、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、神の武具を取りなさい。では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えを履きなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消す事が出来ます。救いの兜をかぶり、また、御霊の与える剣である、神の言葉を受け取りなさい。すべての祈りと願いを用いて、どんな時にも、御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。また、私が口を開く時、語るべき言葉が与えられ、福音の奥義を大胆に知らせる事が出来るように、私のためにも祈って下さい。私は鎖に繋がれて、福音の為に大使の役を果たしています。鎖に繋がれていても、語るべき事を大胆に語れるように、祈って下さい。あなたがたにも私たちの様子や、私が何をしているのかなどを知って頂く為に、主にあって愛する兄弟であり、忠実な奉仕者であるテキコが、一部始終を知らせるでしょう。テキコをあなたがたのもとの遣わしたのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知り、また彼によって心の励ましを受けるためです。どうか、父なる神と主イエス・キリストを朽ちぬ愛を持って愛する、すべての人の上に、主の恵がありますように。』ここは「エペソ書」の最後となる所であります。『子供達よ、あなたの父母を敬い従いなさい!』これは、実はユダヤ人では『律法』(モーゼの律法)に厳しく書かれている事で、『ユダヤ人の子供教育』に現代でも超影響を与えている言葉となります。皆さんは『ユダヤ人には天才が多い!ノーベル賞受賞者最多!大富豪が多い!』という事を良く言いますし、知っています。実は『何故?ユダヤ人がそうなったのか?』この『子供教育』にこそ『理由』があるのです。『ユダヤ人家庭では、子供が父母を敬う!また、父母の言う事に従う。父母の恩義に叶う子供となる!』この事が実に厳しく守られている為、ユダヤ人の子供は教育にめちゃめちゃ力を入れられるのです。『ユダヤ人の子供』は父母が自慢するような子供になる『義務』があるのです。それは『親に育ててもらった恩を返す』という事なのです。だから、「怠け者」ではいられません。『親の言うとおりに、一生懸命勉強しなければならないのです。』(^^;)「日本でも江戸時代などは親への忠義などが重んじられてましたが、現代は『親』が「子供」の奴隷です。日本の『親』は子供の言うがまま、子供を喜ばせたりするにに必死で、大枚さへはたきますが、『子供がワガママに育って『ニート』になろうが、どうしようが』さらに勝手にさせまくります。まるで「親が子供の奴隷状態です。」子供が全く勉強せずゲームばっかしてても、時には叱りますが、自由放任にさへさせます。ここが『ユダヤ人の子供教育』と全く違ってます。『ユダヤ人では子供は親の恩を返す義務があり、一生賢明勉強して立派な人になり、親に育てて貰った恩義を返さねば成りません』使徒パウロはユダヤ人ですから、ここをやはり『強調』しているのです。『子供は親を敬い、親の言う事に従いなさい』と。その為、『ユダヤ財閥』では子孫も「金持ちの道楽息子(アホ)」にはなりません。彼らは金持ちの子供なのに、厳しい教育を受け、親の事業を継ぎ、さらに発展させ、何代にも渡って蓄財したのであります。(^^;)日本では、良く「二代目はアホ」などと言われる諺があるくらい、「親が金持ちになったのだから、子供には苦労はさせたくない。贅沢させ、楽をさせ、好きな事をやらせたい」そんな親が殆どなので、せっかく親が一代で『大企業』を設立しても、その後継ぎは、『金持ちのボンボンで努力も勉強もしなかったダメ人間』などが多く、良く2代目で企業が倒産します。『ユダヤ人』が世界のお金を独り占め』してるのは、実はこの厳しい次世代教育の成せる技なのです。彼らは「金持ちの子供だからと遊ばせる馬鹿な事を絶対しないのです。」「子供は親の努力を継続する義務さへあるので、彼らの子孫は必至に勉強させられるのです。」こうして、『大ユダヤ財閥』が出来上がっている訳です。日本では、「あんなに栄えた企業だったのに?次世代でダメポ」が多いですね。また、元ユダヤ教徒らしく、『父達よ。子供を怒らせたりいらつかせたりしてはいけません。親は子供を神の言葉にのっとりしっかりと訓戒し育てなさい。と親の態度も指摘しています。偉そうに子供には「ちゃんと勉強しろよ!」と叱るくせに、自分は「パチンコ屋」通い。時々思い出したように子供に「勉強しろ!」ではいけませんね。それでは子供が「親はいい加減だ!」と怒って失望します。親も立派な態度で接し、子供をきちんと訓戒して育てなさい。とパウロは指摘しています。映画「イントゥー・ザ・ワイルド」では、親が常に不中で喧嘩ばかりの面白くない家庭~これは良い例ですね。子供はそんな中で優秀な成績を治めながらも、『もう親の家に居るのはゴメンだ!』と出てゆきます。親も人間ですから、夫婦喧嘩ばっか!もしかたないですが、パウロはこんな『家庭』を造ってはいけません。と教えています。見習いましょう。((^^;)出来るだけ)また、『奴隷』と『主人』についても教えています。現代は『奴隷』など居ませんが、2000年前には、征服された国民はすぐに『奴隷』にされてました。『聖書』は『奴隷』にされたから「ムカツク!でしょう。」是非主人のン寝首を取りましょう(笑)などとは教えていないのです。『奴隷』であれば、真心から『主人』に仕えなさい。けしてうわべだけで白々しく仕えてはいけません。「イエス様」に仕えるように、主人に真心を込めて仕えなさい。と教え、又、『主人』は『奴隷』はあなたの家族と同じです。同じ主にある兄弟ですから、『奴隷』を馬鹿にしたり苛めたり辛くあたってはいけません。それより同じ家族として大切にしなさい。と『聖書』は語ります。このように『イエス・キリスト』の教えの特超は『そのある場所で一生懸命仕える』という事なのです。『イエス様御自身』が、横暴な『ローマ帝国の暴挙』に反旗を翻したり、闘いを挑んだりはけしてされませんでした。それよりも使徒ペテロに『剣を持って戦う者は剣によって滅びる』と教えているのです。まあ(^^;)普通の人はとても言えない御言葉です。普通は「剣で襲われたらやり返せ!負けてはダメだ!」ではないでしょうか?しかし、『イエス・キリスト』は『神の子』でありながら、いや『神の子』だからこそ、『ローマ帝国の暴挙に逆らわずに従順に従った』のであります。『キリスト教』の根本思想は『愛』であります。『闘い、勝利、負けない』では全く無いのであります。もし、この事が根本思想なら、『キリスト教徒』はローマ中に増えたのだから、『革命』を起し『ローマ帝国』と闘ったでしょう。しかし、彼らは『愛』によって闘い、あの巨大帝国『ローマ』を征服しました。何か『凄く!』ありませんかッ!その『キリスト者』の戦いは、パウロも言っているように『血肉の物』では無い。つまり『剣や拳銃、バズーカ砲(笑)』で戦うものではない。それは『空中の支配者(空中に飛んでいるのですかね?)サタン』に対する闘いである。と言います。じゃ「サタンを撃沈すればいいじゃん?」では無く(笑)、『サタンが操る所の人間の悪意』と闘う事なのです。『サタン=悪魔』の攻撃は、自らテロリストなどをしたりはしません。『人間の悪意に働きかけ、「神を見失わせる」「人に悪意、憎しみを抱かせる」「他人への殺意や攻撃を募らせる」「愛を失わせ、憎しみを増幅する」「欲望のとりこにして人間を破滅させる」~このような『悪』との闘いなのであります。その為に『神の武具』を身に付け『空中の支配者、この世の支配者=サタン』と闘うようにパウロは訓戒しております。◎腰には『真理』の帯を締めよ!~この『帯』が無かったら全くダメですね『真理』とは『イエス・キリストが救い主メシヤである事を信じる事』以外の何ものでもありません。◎胸には『正義』の胸当てを着けよ!~(^^;)「不正」の胸当てはいけませんね。『正義』を胸当てとして付けなさい。つまり正しい行いをしなさい。『正義』を常に心の中に置きなさい。◎足には平和の『福音』を告げる用意を履きなさい。~これはイエス様の『大命令』ですね。『全世界の人に福音(救いの訪れ)を述べ伝えよ!(^^;)自分だけ救われてるから他の人どうでもイイヤではいけないのです。◎『信仰』の大盾を持て!~この『信仰』が薄い~~~い(ToT)ではダメですね。『信仰が強い=強い固い盾である』であれば、わるい者が放つ火矢(悪意、不信仰、憎しみ、憎悪、詐欺、盗み)をすべて消し去る事が出来る訳です。『信仰』の盾が超薄い人はちょっとサタンが「神様なんて居る訳ないよ~伝説だよ」と言うとすぐに「そうだね~!科学の時代やもんん」と「信仰」を無くしてしまいます。(例は一部の「自由主義神学者」)◎頭には『救い』の兜をかぶる!~「救われてなかったら大変」(笑)ですね!『救い』ですよ!という兜をつけましょう!◎『聖霊様』の与える『剣』である『神の言葉』を身につける!~神様の戦う武器は『剣とか拳銃』とかではありません。それは『聖なる神の御言葉』であります。これで戦うのです。つまり、どんな苦難、困難、又宣教する時にも『聖書の神の言葉』の武器で闘いましょう。そして、この章の中心的な言葉『神の大能の力によって強められなさい!』人間は弱い存在ですが、『神様は万物の創造者!全知全能の神!』であります。その偉大な力によって強められなさい!神様は、弱い私達をその偉大な力で強めて下さいます。「嘘~?」と言っていると、(^^;)強くなれません。これには『信仰』が重要なのです。私達人間は、哲学者『デカルト』(仏の有名な哲学者)が言うように『人間は単なる葦(水べに生える植物)である!しかし、考える事が出来る葦である』実はこれこそが、他の動物と人間の偉大さを分ける所であります。本当に弱い生き物だが、しかし『知能の高い生き物』=『考える事が出来る動物』なのであります。どんな困難、窮地であれ、神様は人間に『英知』を授けられております。『神に祈る時、神様は私達を強め、思いも浮かばない事を発見させて下さるのです』ハレルヤ!!今年も『ノーベル賞』に多くの学者が集いました。昔皆がその為に亡くなった、王侯貴族も単なる「腸チフス」で優秀な人々があけもなく亡くなった。しかし、『抗生剤』の発明で、「もう死ななくても良くなった」のであります。このように、神様は素晴しい『恵=英知』を人間にさずけて下さっているのです。この力を発揮する為にも『神様の偉大なる力によって強められねばなりません。』『自分はもうダメだ!』と思った時でさへ、あなたの中には考えられない力、そしてどこにでも『抜け道』が必ずあるのです。神様に祈りましょう!きっと偉大なる力で強めて下さる筈です。