『ルカによる福音書』~少年イエス!
(ルカによる福音書2章42節~52節)『さて、イエスの両親は過ぎ越しの祭りには毎年エルサレムに行った。イエスが12歳になられた時も、両親は祭りの慣習にしたがって都へ上り、祭りの期間を過ごしてから、帰路についたが、少年イエスは都にとどまっておられた。両親はそれに気ずかなかった。イエスが一行の中に居ると思って、一日の道のりを行った。それから、親族や知人の中を捜しまわったが、見つからなかったので、イエスを捜しながら、エルサレムまで引き返した。そうして、ようやく3日の後に、イエスが宮で教師達の真ん中に座って、話を聞いたり、質問したりしておられるのを見つけた。聞いた人々は皆、イエスの知恵と答えに驚いていた。両親は彼を見て驚き、母は言った。「まあ、あなたはなぜ私たちにこんな事をしたのです。「見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお探しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」しかし、両親には、イエスの話されている言葉の意味がわからなかった。それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらの事をみな、心に留めておいた。イエスはますます知恵が進み、背丈も大きくなり、神と人とに愛された。』この「ルカ福音書」の記事は4福音書の内、唯一、少年時代のイエス様の事を記録したもので、大変貴重なものであります。『聖書』の『福音書』という『イエス・キリストの生涯、言動、活動』を記録したものは4つありますよね。(マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書)この中で最も早期に良く調べて書かれたのが『マルコ福音書』であり、それをお手本のように見てさらに別の資料(Q資料とか言われます)の記録を基に書かれたのが「ルカ福音書」と「マタイ福音書」であり、『共観福音書』と呼ばれる3つの『福音書』であります。『ヨハネ福音書』は最も書かれたのが遅くBC80~100年代で、独自の観点や他の『謎の資料』を元に書かれています。これらの「Q資料、謎の別の資料」については発見されておらず、『推定による資料』であります。何といっても2000年前の物ですから、発見される事の方が殆ど不可能に近いものであります。しかし、『イエス・キリスト』の死後、12使徒達がイエス様の復活を体験し、即座に『宣教』を始めているので、彼らが単なる記憶だけで、『イエス・キリストの言葉』を宣教したとは、到底考えがたく(記憶だけなら話がどんどん違った物になってしまう)、『イエス・キリスト』の言葉、行動を覚書した『メモ』の存在があったと考えるのが、当然であり、その資料の一部も発見されているようです。これらの『使徒達の覚え書きメモ』&『使徒達による口述を筆記した物』=「Q資料や別の資料」となったのではないか?と推定されます。これらの資料の一つから、『イエス様の少年時代の貴重なエピソード』が書かれた。この『ルカ伝の少年イエスのエピソード』は貴重なものと言えましょう。他の福音書には、「イエス・キリストが宣教を始める以前の記事」は皆無であります。( ˘• ₃ • )なんや?それならイエス様の若い頃の事は解らんという訳でっか?何や怪しい感じではないか?・・と思われる方もいらっしゃるとは思いますが、『イエス・キリスト』は『メシヤである救世主・神の子』であられ、『旧約聖書にさんざん預言が大量にあり、ユダヤ人はメシヤの到来を待ち望んでいた』訳で、『イエス様』が子供時代から『超神童!』として話題をまき散らしたり、『超天才!』として話題になったりしたら、すぐに『処刑!』の憂き目に合う事もアリでした。何故なら、最後やはり『救世主・ユダヤの王と自称して人々を扇動した罪で、処刑されています。』・・・(灬´ิω´ิ灬)と、言う訳で、『キリスト』は普通の人々の中にまぎれ、普通の人としてひっそりと暮らし、成長されなければならなかったのでは無いでしょうか?だから普通の平凡な敬虔なユダヤ教徒の父母(マリヤ&ヨセフ)の子供としてひっそりと誕生され、普通の子供として皆に知られず、普通に成長されたのであります。良く、「イエス様はどんな子供だったのか?若者時代はどうだったのか?全く解らないではないか?」と疑問を持たれる方は多いでしょうが、恐らく普通のユダヤ人の子供と同じように成長され、ユダヤ会堂『シナゴーグ』で安息日には『律法』を学習し、その一員として賢明に正しく信仰の人として生活され、父親ヨセフの仕事である大工を継いで、毎日仕事をされていたのではないでしょうか?(あるいは飛んだ推測をすると、クムランのエッセネ派などで、祈りと信仰の修行を積んでいた可能性もありです。というのは、当時のユダヤでは「シナゴーグ」のような宗教的な場所が「学校」のような学びの場所でありました。子供達は皆、「シナゴーグ」で「律法学者や会堂長老」に『律法』~『読み書き、計算』なども学ぶ事が出来た訳で、『クムラン(死海のほとり、『死海文書』が発見された場所)』のような『聖書写本』を制作したりしてた場所では、当然「ギリシャ語」なども教えてくれたりもした筈です。『バプテスマのヨハネやイエス様』が、このような場所で『ギリシャ語』や『旧約聖書』を学習したり、祈りや信仰の訓練に行く事も想定内ではないか?・・と私的に推測します。(注)あくまで私的な考えです)イエス様には7人の兄弟姉妹もおられ、兄弟の一人『ヤコブ』は12使徒の一人でもあります。この事から、マリヤもヨセフも敬虔なユダヤ教徒で、子供達も『律法』に従い神様に祈る敬虔な人として教育したのでありましょう。しかし、どんなに隠してもその『神の子』としての『賢さ、ちょっと不思議な方』というのは、父母も記憶するものであります。そのようなエピソードの一つでありましょう。この所を見ると、当時ユダヤ教徒のユダヤ人は『過ぎ越し祭り』などの祭儀に、親類や近所の者達一同で、『エルサレム神殿』に行く風習があった事が解ります。マリヤとヨセフと子供達だけでなく、大ぜいの親類、知り合いが一緒に旅をしているのです。それで、恐らく子供も沢山連れて居たのでしょう。両親の「マリヤとヨセフ」は、イエス様が見当たらなくても、「きっとよその子供と一緒に遊びながら着いてきている!」~このように考えて安心して郷里へ帰っておりました。ところが、『少年イエス様』があまりに見当たらないので、両親も心配になり、親類、知り合いの間を捜したのですが、見つかりません。両親ははぐれてしまったのか?と、とても心配して『エルサレム』まで引き返しながら捜しました。すでに1日もの距離を進んでいたので、引き返すのも大変ですね。それで引き返すのに1日で、2日達ち、今度は『エルサレム』中を捜したので1日過ぎで3日も経ったのでしょう。きっと両親は誰かに連れていかれたのでは?・・とか、何か事故にでも遭ったのでは?とか、相当心配されたでしょうね。ところが、『神殿』にやって来ると、何と『イエス様』は学者達(恐らく律法学者)や教師達の真ん中に立ってどうどうと、真剣に論じあっているではないか?それに、その賢い『少年イエス様』のお話に、学者達が関心して唸っているのですから、二人はさらに驚いてしまいました。しかし、それにしても全く心配をかける息子だ!ッ~と両親は、見つかって安堵したのと、怒っていたのでしょう。マリヤは『息子よ!あなたは何という事をしてくれたのですか?お父様も私も、とても心配して捜し回っていたのですよ。』と叱ります。ところが、『少年イエス様』は平然と『どうして、わたしをお探しになったのですか?わたしが必ず父の家に居るのをご存じなかったのですか?』とお答えになり、マリヤも困惑してしまいました。『父の家に居る』とはどういう意味なのか?理解できなかったのでしょう。イエス様のこの世での父様は「ヨセフさん」ですから。ヾ(*・∀・)/『少年のイエス様』は何故、勝手に『エルサレム』に留まられたのか?『イエス様』は12歳、そろそろ当時では大人ぽくなってきた頃です。『イエス様』がどうして留まったのか?それは『神殿』に来た時、何か『霊的』なものを感じ、滞在したくなったのでしょう。また、学者達と論議していた所を見ると、彼らの知識などにもとても興味を持ったのかもしれません。(田舎のガリラヤの学者でなく、都のエルサレムの学者ですから、何かより良い知識があるのでは?と興味を覚えてのかもしれませんね。)書かれてはいませんが、父親のヨセフは『イエス様』を厳しく叱ったかもしれませんね。(笑)マリヤは「やはり不思議な子だ!」と色々理解出来ない事も心に記憶しておきました。イエス様の母マリヤはこのように、非常に敬虔で従順な信仰の持ち主であります。どのような信じられない事でも、神様の事を信頼して受け止めていく『信仰』の持ち主でありました。ここでは、『イエス・キリスト』が少年の頃から、卓越した賢い方であり、また『わたしはいつも「父の家」(天の父なる神の家)に居る』という敬虔な信仰の人であり『神の子』である事が現されております。( ゜Д゜;)!?「律法学者や教師達もイエス様の年齢にそぐわない賢いお答えやお話に、また堂々とした態度に、「これは、これは、どこの神童のようなぼっちゃんであろうか?」と驚いて事でしょう。『イエス様』はこのようにして、成長してゆき、背丈も伸び逞しくなり、『神と人』に愛される方になられた!と書かれています。『イエス様』は宣教される時、「シナゴーグ」のような会堂や、屋外でも宣教されました。と、言う事はかなりな『声量』がある方であったのでは?と推測されます。(^^;)あまりに小さなお声では、皆さまが聞く事が出来ませんから。とすると、体格もがっちりされていたのではないか?などと想像出来ますね~!この『ルカ福音書』では貴重な『イエス・キリスト』の少年時代のエピソードが記録されておるのであります。