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Manachan's World-東京下町日記

チャールストン-米国南部の「小京都」

2日目:チャールストン-米国南部の「小京都」

チャールストン、という町の名前を、聞いたことがありますか?五匹の子豚のチャールストンではありません。CHARLESTON・・・米国南東部、サウスカロライナ州にある港町で、米国の歴史で非常に大きな役割を果たしてきた美しい古都です。そのストーリーをいくつか挙げると、
  • 米国独立より100年以上も前から存在する、南部で最も古い歴史を持つ町
  • 独立戦争の際、ボストンやニューヨークと共に英国軍と戦った町
  • 米国史上最大の内戦、南北戦争の火ぶたがきられた町
  • 南北戦争で廃墟となり、それ以降米国歴史の表舞台からひっそりと姿を消した町
  • 大都市にならなかったおかげで、町全体が歴史建造物の博物館みたいになっている、全米でも独特の存在感を持った町





チャールストンは、米国「南部」の町ですから、周辺には綿花栽培や奴隷労働の歴史の名残りがたくさん見られます。たとえば、「プランテーション」(大農園)。これが、ドライブの道中たくさん見られます。もっとも、現在では奴隷労働なんてありませんから、当時の邸宅を観光用に開放しているだけなんですけどね。

Boone Hall Plantation




道中には、この地方の名産「竹かご」が屋台で売られています




湾にかかる長大な橋を越えると、いよいよチャールストン市街地へ・・・

市内の目抜き通り-King Street




市内の至るところで、観光用の馬車が走っていました。






これが、チャールストン観光の目玉の一つ、「サムター要塞」(Fort Sumter)への入り口。ここで、あの南北戦争が勃発しました。




サムター要塞の今と昔。何だか、「使用前と使用後」みたいだな・・・




冗談言ってないで、真面目な話をしますと・・・19世紀、ここサウスカロライナを含む米国南部地域では、綿花栽培が主要な(というかほぼ唯一の)産業でした。綿花栽培は、労働力を大量に必要とするので、当時はアフリカ大陸から連れてこられた奴隷が、その過酷な労働にあたりました。

当時の新聞には、「売ります、買います」欄に、「コンゴ出身の健康な奴隷、1ケースいくら」みたいな、エグい広告が出ていたそうです。

折りしも、米国北部地域では工業化に成功を遂げつつありました。工業化した社会では、流動人口を必要とするので、労働力を土地に縛り付ける奴隷制とは基本的に相容れない。そういう経緯もあって、北部対南部の対立が日増しに激しくなり、ついに南北戦争(Civil War)という、戦死者60万人を超える史上空前の悲惨な内戦に突入します。

南北戦争に先立ち、1860年にサウスカロライナ州は米国連邦を脱退、南部連合軍(南軍、Confederates)の戦陣に加わりました。そして、翌1861年の4月12日、チャールストン港にあるサムター要塞に駐屯する米国連邦軍(Union、北軍)の部隊を南軍が襲撃、これを陥落させ、ついに南北戦争の火ぶたが切っておとされました。この戦争の最中に、北軍側の指導者であったリンカーン大統領の「奴隷解放令」が出たのは、あまりにも有名な話です。

ところで、チャールストンを含む南部の人々は、一体何のためにあの戦争に駆り立てられたのでしょう?私思うに、それは単純に「生活を守る」ためだったのでしょう。綿花栽培のみに依存するモノカルチャ-経済の南部にあって、奴隷使用を禁じられることは、たとえていえば、米国が日本に、「自動車やエレクトロニクスの生産の禁止」を命ずるのと同じか、或いはもっと厳しい、生存基盤を脅かすものに他ならなかったのでしょう。だから、彼らは生活を守るために、南軍に進んで身を投じ、強大な北軍に立ち向かったのでしょう。

結局、南部は敗北しました。4年にわたる悲惨な戦争で、チャールストン市民の多くが亡くなり、この美しい都市も大きく破壊されました。廃墟になって南部の各都市に、「占領軍」が乗り込んできて、経済の再建に乗り出しますが、その過程は多くの南部人にとって、「戦時中よりもっとひどい!」と言わせたものだったらしいです。

敗戦から1世紀以上経った現在でも、チャールストンはその歴史を忘れず、各教会や記念碑に戦死者の名前が刻まれています。

南北戦争から連綿と続く「南部の怨念」は、私たち日本人を含む、世界中の人々が事実として知っていなければならないことだと思います。今日、米国のメインストリーム(主流派)は北部と西部が握っていますから、南部について対外的に報道されることは非常に少ないし、その結果私たちも南部のことをほとんど知らない。

ここ南部には、昔から、保守的な考えを持った信心深い人々が暮らしています。彼らの多くは、ジョージ・W・ブッシュと、その"God save America"のスローガンを熱烈に支持し、彼を大統領に選出するうえで、大きな役割を果たしたとされています。昨年の大統領選でも、知識人や高等教育を受けた人の多くがブッシュではなくケリー支持に回ったのにも関わらず、なぜブッシュが再選されてしまったのか?その謎を解くためには、米国南部について、もっと知る必要があると思います。

おそらく南部の多くの人々にとって、今日の米国のメインストリームを構成するパワーエリートや知識人は、「憎っくき北軍」の再来なのでしょう。そういう連中を快く思わず、週末はひたすら教会に通い、進化論さえ信じないという人々が、アメリカ南部には多く存在する。そして彼らは、世界唯一の超大国として君臨するアメリカ合衆国の市民であり、投票権を持つ人々なのです。だからこそ、我々は彼らのことをもっと知らなければならないのです・・・



さて、チャールストンの写真の続きを・・・これはEast Bay Park。なかなか綺麗ないい公園です。






パイナップルの噴水。パイナップルは「歓迎」の意味を表すんだそうです。




女性観光客の着るドレスも、なかなかクラシックで南部らしい。




もう少し歩くと、フレンチクオーター(フランス人居住地区)に出ます。ここの町並みはとてもおしゃれ。








米国南部を象徴する、ミモザの木。




潮風香るサウスバッテリー通りまで来ると豪邸が並び、往時の栄華をしのばせます。




消防車も、美しい古都の風景にすっかり溶け込んでいます。




最後に、町の至るところにある、南北戦争の記念碑。「南部の目」で見ると、アメリカ歴史もまた違ったものに見えるのでしょうね。



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