Manachan's World-東京下町日記

2007/02/19(月)05:58

税金の正しい使い方

厳しい財政状況、少子高齢化に伴い、公共投資のあり方が厳しく問われている昨今です。確かに、世の中には、効率や効果の面で問題の多い公共事業が少なくありません。それでも、地域の緑化、美化、快適性、安全性を向上させるような公共投資に、お金を惜しんではなりません。また、そういう方面で、お金を正しく使うならば、たとえばの話、1億円の公共資金を投じて、それが、3億、4億の価値を生むことだってあるのです。 そういう、「良い公共投資」の事例の一つが、我が家から歩いて2~3分の距離にある、「古石場親水公園」だと思います。 古石場親水公園は、東京・江東区の西部、牡丹(ぼたん)町と古石場(ふるいしば)町の間を流れる都市河川・「古石場川」の水害防止、および緑化、美化を目的として、1990~91年にかけて整備されました。 これらの地名は、昔から続く、由緒あるものです。「牡丹町」というのは、江戸時代、この一帯に住んでいた殿様の屋敷に、牡丹の花を植える者が多かったことから、つけられた地名です。「古石場」というのは、江戸城を築城する際に使われる、膨大な量の石材の置き場がここにあったことから、ついた地名です。古石場に隣接する「木場」という地名も、もとは江戸城の材木置き場でした。「木場」と「古石場」は、セットだったんですね。 平成の世になってつくられた、古石場親水公園も、江戸時代の牡丹・古石場以来の歴史を表現すべく、デザインされています。牡丹町の区域には、日本全国から集められた各種の牡丹の花が植えられ、古石場町の区域には、これまた各地から集められた、各種の石材がふんだんに使われています。また、870メートルにわたる細長い公園の両側に、区民有志(多くは小学生や中学生)の手による、絵が描かれています。いろいろなテーマが表現されていますが、どれも、かなりの力作です。 江東区は、ごく最近まで、殺風景な工場地帯、または埋立地だったところです。そこに近年、ものすごい勢いでマンションが建てられたのですが、工場跡地に建つマンションの多くは、殺風景だった頃の雰囲気を引きずっていて、おしゃれで楽しい街並みなど、望むべくもありません。ところが、ここ牡丹・古石場にあっては、風景になぜか、潤いと味わいがあって、歩いていて気持ちいいんですよね。その秘密は、やはり、江戸時代から続く歴史伝統の力なのだと思います。また親水公園も、そうした歴史とうまく調和しています。 この通り、車を気にせず、安心して歩けます  地元有志の手による壁画が、延々と続いています 子供たちが描いたもの、アートですねえ♪ 江東区は、災害に弱い地域です。江戸時代以降の、埋め立て・干拓等によって、新たに陸地になった新開地ゆえに、地盤が緩く、どこを向いても水だらけ。おまけに、区域の多くが海抜ゼロメートル地帯ということもあって、数十年前から、地震や洪水などの自然災害対策に、力を入れてきました。 そのため、江東区内の主だった川は、まず河道を広げ、そこに植樹を施し、遊歩道を設け、親水公園として整備されています。もちろん、主な目的は防災性の向上ですが、水と緑に包まれ、車を気にせずに歩けるこの空間は、区民の憩いの場にもなっています。 ところで近年、親水公園に面したマンションが、人気を集めています。バルコニーから、水と緑の眺望(リバービュー)が得られる部屋は、どこも、人気がありますし、眺望のあるなしで、価値が数百万円も違ってくるそうです。 古石場親水公園を歩いていて、面白いことに気づきました。親水公園ができる以前に建ったマンションは、どこも、バルコニーが川に背を向けていますが、それ以降に建ったマンションは、どれも例外なく、バルコニーが、川の方を向いているのです! 下の写真を見てください。写真の中央上方にある、白と黄色のマンションは、親水公園完成以前の1980年代に建ったもので、いずれも、バルコニーが川とは別の方向を向いていますが、手前の、1999年に建った茶色のマンションは、川の眺望を強調したバルコニーになっています。 バルコニーの向きが違う! リバービューを前面に出したマンション このこと自体、親水公園がいかに、地域の美観向上に役立ち、資産価値の向上を生み出したかを、物語っていると思います。余談ですが、上のリバービューのマンションは、売り物件が一つも出ていないのに、購入希望者がたいへん多く、順番待ちをしている状況です。オークションに出したら、高い値段で売れるのかもしれませんね。 今日も、娘を連れて、親水公園で遊んできました。ここを歩くたびに、「江東区は、じつにうまい税金の使い方をしたもんだ」と、つくづく思います。

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