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健全な男女共同参画を考える!

健全な男女共同参画を考える!

ヘアー・インディアンの固定的性別役割分担

教育図書:家庭基礎、家庭総合への批判
私は、ヘアー・インディアンにはかなりの固定的性別役割分担があると感じている。
原ひろ子著「ヘアー・インディアンとその世界」から、関係する記述を抜粋する。

●さらに、この「動物による知能尺度」は、成長する子供たち、とくに男子に対して、猟師となるための学習目標を設定している。8~10歳前後の子どもはリスをとり、12歳ぐらいでアメリカテンやウサギの猟を少しずつおぼえ、「早くアメリカミンクやムースやビーヴァーがとれるようになりたい」と教えるという。15、6歳ではじめてムースを射止めたとき、「一年にたくさんのムースをとる猟師になりたいと思った」という青年は多い。(P77)
●ヘアー・インディアンの間では、ムースやカリブを追うのは男の仕事となっており、広域にわたる罠猟に従事するのも男なので、地図を見ていたく感動し、興奮してしゃべり出すのは男たちだった。男性の調査者なら、男たちのムース猟や罠猟についていって、直接、彼らの行動にふれることができるのだが、私の場合は、地図のおかげで、男たちの狩猟生活の一端を、垣間見ることが出来たような気がする。(P99)
●男が魚網の仕事をすませて帰ってくると、犬にエサをやり、人も何とかおなかを満足させる。それから男は、丘の上にウサギの罠を仕掛けに出かけ、女は、カナダトウヒの枝を集めてきて、テントの床に敷きつめる。(P134)
●燻製小屋から出てきた男は、その足でカヌーを川に漕ぎ出し、魚網を調べにゆく。女は、テントのストーブに火をつけ、お茶を入れて、魚やパノックを食べて、魚の到着を待つ。
男がカヌーに魚を積んで帰ってくると、キャンキャン吠える犬に、その魚を二匹くらいずつ投げてやり、女、子どもは魚を陸揚げする。陽ざしが強くならないうちに、魚を開いてしまう方がよいので、女はさっそく地面に正座して魚をさばきにかかる。(P139~140)
●行進しながら、男たちは獲物を探す。肩にした銃には、いつも弾丸が込められている。ムースの足跡や糞が見つかり、それが前日かその日の新しいものだとわかると、追跡がはじまる。背中の荷物を女たちに残し、干し魚と干し肉を少し持って、男たちは急ぎ足でムースのゆくえを捜しはじめる。女たちはキャンプに適当な場所を見つけて、犬をつなぎテントを張り、男たちの帰りを待つ。(P165~166)
●一般に、男のパーカの模様の方が女ものよりも派手だ。女たちが競って男のために刺繍の腕をふるうからである。薄暗い冬の雪あかりの中に、パッと明るい大きな刺繍のついたパーカをさっそうと着こなして、ドッグ・チームに「出発」の号令をかける男の姿は、ヘアーの女たちにも頼もしく見えるのだろう。(P181)
●しかし、移動するキャンプ地を決め、その時期を定める最後の権利は男が持っている。あとの生活の領域に関しての発言権や決定権はかなり平等に分配されているようだ。ただし、「かかあ天下」の男女の対はとかく批判されるし、「「男が腹をたてて当り散らしても、女の方は我慢しているほうが男女は円満だ」という「常識」が通用している。このような男女の気質の差を助長するように、育児様式にも男女の差が見られる。(P282)
●私のヘアー・インディアン調査の短所と調書
 第一の短所は、私が女性であることだ。私が男性の調査者であったら、ムースやカリブを追いかける狩猟の旅に同行したであろうが、この点は残念ながら断念した。(P441)
なお、229ページに、“極小化された男女の分業とテント仲間”という章があって、次のように記述されているが、この本の全般的な記述を見ると、上記の如く、かなりの程度、男女の分業(固定的性別役割分担)があると私は考える。
「これまでたびたびふれてきたように、ヘアー・インディアンの世界では、おおよその男女の分業というものがある。原則として、狩猟・漁労はおもに男の仕事で、採集は女の仕事になっている。しかし、世界の諸民族の中で、ヘアー社会は男女の分業が極小化されている例の一つである。ここには男一般にとってタブーとなっている採集対象物もなければ、女一般にとってタブーとなっている採集対象物もない。」


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