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健全な男女共同参画を考える!

健全な男女共同参画を考える!

国立女性教育会館はジェンダーフリー 4

国立女性教育会館(ヌエック)はジェンダーフリーだ!(その4)

国立婦人教育会館 女性学・ジェンダー研究会(編著)に、
「女性学教育/学習ハンドブック―ジェンダーフリーな社会をめざして」(有斐閣)
がある。
国立女性(当時は婦人)教育会館は、この本が出版された1999年当時は書名にあるように「ジェンダーフリーな社会をめざして」いたのである。
本日は、
7、家事労働の経済評価(塩田咲子氏、高崎経済大学教授)から抜粋する。
このところはいわゆるアンペイドワークについての記述であるが、私はこれを呼んで、とてもがっかりした。フェミニスト、ジェンダー論者の精神の貧しさをつぶさに見た思いがしたのである。では、ご覧ください。


7、家事労働の経済評価
2)家事労働はただではない
 マルクス主義フェミニズムの見地によれば、1960年代の主婦論争においては、家事労働は商品として交換されない使用価値であるから無償だとされた。たとえば、料理という同じ労働でも、家の中で提供すれば無償だが、家庭の外で家族以外の人に提供すれば、普通は商品となって何らかの金銭が払われる。そこで、家事労働を有償にしていくには、商品にするか、外部化するという家事労働の社会化という戦略が出てくる。たしかに育児は保育所に、料理は加工品や外食産業を利用するなど、この間、家事労働の外部化や有料サービス商品が大きく発達し、今後も進展していくのは確実だ。
 しかし、すべての家事を外部化するのは、女性たち自身が望んでいないのも事実だ。というのも、現代にあっては、家事労働は「愛の労働」となり、恋愛結婚という仕掛けを通して女性たちは、夫に扶養されるという「保証」と引き換えに自分から無償の家事労働を提供しているのだ
 では、家事労働を有償にするには、あるいは「愛の労働」という名の下に、夫が妻の労働を搾取している現状から脱却するにはどのような戦略があるのか。1つは、「家事労働に賃金を」という要求・運動であり、もう1つは、愛の名の下に家事労働を女が提供する「近代の恋愛結婚」からの退却である。あるいは、賃金が支払われる根拠は、自分の労働力や身体を自分が自由に販売できる地位を獲得することに始まるのだから、主婦も夫と交渉して、自らの家事労働サービスの対価を要求することであろう。(以上P55~56)


 皆さん、これを読んでどのような感想を抱かれたでしょうか?

 家事(労働?)を、なぜに有償にしなければならないのか理解できない。家事(労働?)は、家族のために、無償で行うからこそと尊いのである。
 塩田氏は、夫と妻との関係で、“夫が妻の労働を搾取している”という観点から書いているが、家事は、家族の成員一人ひとりが、他のみんなのために行うものである。たしかにその中では、主婦(妻、女性)の役割はとりわけ大きいかも知れない。しかし、私自身、無償で尽くしてくれた母親には(父親にも)限りない感謝の思いを抱いている。親が年をとればみんなで介護したりして支える。小さい子どもには、母親、父親、おじいさん、おばあさんみんなで愛情をかけ育てる。家族はそういうものではないだろうか。

 塩田氏は、妻は夫に対して労働の対価を要求することが当然と言っているが、それなら、子どもに対しても、おじいさんおばあさんに対しても世話したことに対して当然労働の対価を要求するということになる。なんと、殺伐とした悲しい風景だろうか。家族の中にまで「すべては金」という関係を持ち込みたいのだろうか?それで幸せな家庭が生まれるのだろうか?まったく理解できない。そもそも、家事を「労働」と捉えることに大きな違和感を感じる。
家事は、本来、無償(ボランティア)であるからこそ尊いのである。

 塩田氏は、マルクス主義者なのかもしれない。「労働」「商品」「搾取」という言葉を使っているが、これらはマルクス主義(経済学)の重要な概念である。また、マルクス主義は、「資本家が労働者を搾取している」という観点に立っているのだが、塩田氏のここでの主張は「夫は妻を搾取している」のようである。


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