国立女性教育会館への公開質問状伊田広行氏は男女共同参画にふさわしいのか?伊田広行氏は、国立女性教育会館の男女共同参画人材情報ベースに掲載されています。 著作等には、 『いろんな国、いろんな生き方(ジェンダーフリー絵本第5巻)』(共著)大月書店2001年 『シングル単位の社会論―ジェンダー・フリーな社会へ』世界思想社1998年 『シングル単位の恋愛・家族論―ジェンダー・フリーな関係へ』世界思想社1998年 『性差別と資本制-シングル単位社会の提唱』啓文社1995年 その他が紹介されています。 因みに『シングル単位の社会論―ジェンダー・フリーな社会へ』には、次のような記述があります。 ○はじめに(3ページ)の記述 カップル(家族)単位社会を、シングル(個人)単位の社会に変えることが、男女平等を進めるということだ。 ○8ページの記述 結婚も家族も幻想だ。愛し合い、話し合い、理解し合い、深い関係を作り、一生添い遂げるということや、子供を愛するすばらしさなんてのも、幻想に過ぎない。 ○106~107ページの記述 個人単位は家族の義務を消滅させる シングル単位の社会では結婚制度はなくなる。結婚に際しての届出がなくなる。国家・行政は、誰と誰が生計を一つにしているか、扶養義務があるかを知らない。関心を持たない。 親子関係も扶養義務ではなく、むしろ権利として整理し、子供は好きな人に育てられる権利、親は子育てをする権利があるとする。 「無償の愛」や「身内」「母」「父」「夫」「妻」などの論理ではなく、まずニーズある当事者の権利保障として、国家との関係で介護や育児がある。これは育児や介護といった再生産労働を社会的に承認するということであり、従来の「家事労働を無償にしていた家族単位という仕組み」を根本的に変革することになる。 こうして個人を単位として考えていくならば、当然名前も本人が選べるべきであり、夫婦や親子で同姓を強制することは廃止される。 財産は個人財産制で、身内・夫婦・親子に財産を贈与する場合も、それは「相続」概念ではなく、通常の「贈与」と同一扱いすることになる。こうしたシングル単位政策は、家族という意味を限りなく薄くしていく。○268~269ページの記述 ジェンダー・フリーの具体像としての「シングル」 僕の主張は、ジェンダー概念の先には、ジェンダー・フリーでジェンダーを超克する概念、すなわちシングル概念しかないだろうということである。 このような考えが、国の進める男女共同参画なのであろうか? 「結婚も家族も幻想だ。愛し合い、話し合い、理解し合い、深い関係を作り、一生添い遂げるという ことや、子供を愛するすばらしさなんてのも、幻想に過ぎない。」 国立女性教育会館は、このようなことを女性に教育しようとしているのだろうか? 昨今、国を挙げて少子化に取り組もうとしている。結婚も家族も幻想という考えは、少子化を促進することはあっても、それの対策にはなりえない。 また、なぜ、このような考えの人物を、男女共同参画人材情報ベースに掲載しているのでしょうか?是非とも、回答いただきたいと思います。 |