45歳になったせいなのか、この頃、「死」を身近に感じるようになってきた。
「死への恐怖」といったらいいのか。「老い」に対しても、同様に感じる。
「このまま、私は終わっちゃうのだろうか」という嘆きが湧いてくる。
心がざわざわとして、落ち着かない。
ソウルセラピーで、だいぶ自分の心が解き明かされてきたとは思う。
でも、層になっている。
剥いても剥いても出てくる。
自分が一番ひどかった時を思い返してみる。
太っていて、どこにも出かけたくなかった。世界中から否定されているような気がしていた。
何も希望がなくて、何もしたくなくて、目標も持てなくて・・・。絶望していたな。
体が重くて重くて、一歩も動けないくらいだった。
あの頃と比べたら、今も思い通りにならないことはたくさんあるけれど、だいぶ良くはなってる。
いつ死ぬのかわからないという恐怖を持ちつつも、死亡宣告されているわけでもないし。
でもね、いつ死ぬかわからないから、精一杯生きるという気持ちではいたいよね。
なのに、私は勇気がなくて、行動力もない。
自分を表現しながら毎日生きることができてない。
自分に嘘をついている。
今の精一杯の自分を、まだまだ認められてないんだなあ。
昨日はそのことを突き付けられた。
それはとても苦しいし、歯がゆいし、悔しいことだった。
どこまで自分、いじめたいんだ?
とはいえ、自動的に起こってしまったこと。
私の中の、自動反応だったと思う。
根本的に変えていかないとダメだなあって実感した。
失敗することはあるのが人間。
自分の失敗を認められるようになりたい。
今は、自分の失敗を責める気持ちで心がいっぱいになっていて、どうにも溶かすことができないでいる。
よく、「やらないで後悔するよりも、やって失敗するほうがまし」っていうけど。
まさに、それだった。
「やらなかった」と言う失敗。
勇気を出さないで、こんなに後悔することになろうとはね。
自分の気持ちをもっと認めればよかった。
本当に後悔している。
もう一度、チャンスが来る可能性は極めて低いけれど、できればもう一度きっかけが欲しい。
これも、私の学びなのかなあ。
つらいわ。
つらい気持ちを認めて、持ち続けることも私の課題・・・かなあ。
後悔のないように生きていきたい。やっぱり。
神さま、どうか、私を後悔しない人生を送れるように助けてください。