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見たまま、感じたまま、思ったまま

その(3)高校時代

<高校時代>
高校に入った記念に貯金を下ろして、当時だと贅沢品と思えた6万円のフォークギターを買った。K・YAIRIというメーカーで、この間ネットで検索したら、同じギターが10万円になっていた。今なら怖くて買え無いなあ(笑)。

高校に入って、初めて行ったライブは海援隊とりりぃ、それに山崎ハコ。今考えると全く脈絡のない3組だけど、そのころの僕の町では、ライブという事自体が珍しかったのだから仕方ない。

で、他のページで書いたけど、1年生の時に豊田勇造さんとの衝撃的な出会いがあったわけです。勇造さんとの出会いを通じて一番良かったと思うことは、色んな場所に音楽はある。テレビやラジオで紹介されて電波に乗った物だけが音楽ではなくて、それ以外の場所で立派に成立している、そしてそれが楽屋落ちではなく、素ばらしい音楽があるのだという事を知った事だと思う。

それ以降は、ラジオの深夜放送も、好きなミュージシャンを聞くというよりも、自分の知らない新たな歌を知る場として利用するようになる。
レコード屋へ行っても、ぱらぱらとアルバムをめくり、ジャケットを見て思わず目をとめるという機会が増えてきた。
このころの関西フォークが、マイナー(という言葉は嫌いなんだけど)で、
かつジャケットも面白いのが多くて印象に残っている。
「アウトオブマインド」(加川良)、「鼻歌とお月さん」(中川イサト)、「街行き村行き」(西岡恭蔵)、「にんじん」(友部正人)、「ひらひら」(中山ラビ)、「回帰線」(南正人)など。

しかし、これらのLPが小遣いの限られている高校生に買えるわけはなく、これらのアルバムの多くは社会人になってから追体験という形で接する事になるのだ。

高校に入って、勇造さんのアルバムの次に買ったのは、久保田真琴と夕焼け楽団の「サンセットギャング」そして次はブルースコバーンの「夜の幻想」だったのだ。そして次はディランの「偉大なる復活」かな。とにかく脈絡が無かったわけです。

不思議なのは、ビートルズが全然出てこないこと。当然この時期は解散していたけど、まだまだ人気醒めやらぬ頃だったのだけど。不思議。
このころより、あまのじゃくの精神が出ていたのかも。
その代わり、カーペンターズとか、ギルバート・オサリバンとか、エルトンジョンとか好きだった。

その(4)に続く・・。


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