ナンのこっちゃい!
今から14年前の1990年1月27日、彼はひょいと垣根を飛び越えて向こうの世界へ行ってしまった。本当に軽くひょいと言う感じだった。江戸アケミ、本名江戸正孝享年36歳。自宅浴室での事故死。治療の為に服用していた抗精神薬の為、入浴中に眠ってしまったための溺死と言われている。こんな風に彼は突然僕らの前から消滅し、彼が中心であった「じゃがたら」も自動的に活動停止となった。そしてその翌年ベースのナベが肺炎で死亡、そのまた翌年にサックスの篠田昌巳が心筋梗塞で死亡。そんな風にじゃがたらは僕らの目の前から消えていった。しかし、突然に姿を隠したものほど、それを知る人の心の中にその陰を深く残しているものである。まだ彼らを知って1年と少ししか経っていなかった新参者のファンであった僕は、取り残されたような、高いはしごに乗って上まで登らされて、その後急にはしごを外されたような気分になったものだ。その翌年だったか、3本組のビデオ「ナンのこっちゃい!」が発売される。これはじゃがたらのギタリストであったOTOが編集した、彼らの歴史とでも言える貴重なビデオだ。一体何故こんなビデオが残っているのか不思議である。メジャーになってしまった後ならともかく、本当にごく初期の、江戸アケミが舞台の上でフォークで顔を突き刺し血まみれになって、小便を飲んでまき散らして転げ回っていた、そんなパフォーマンスのみが面白く記事になった時代の頃からの映像が残っているのだ。一体誰がこんな映像を、どんな目的でもってカメラを回していたのか不思議である。もうひとつ、エドの死後に出たJAGATARA関連本として「じゃがたら」(陣野俊史著)がある。この本の事は最相葉月さんのエッセイで知った。この本も、このDVDと同じような彼らの克明な記録である。と、同時に関係者のインタビューを厚くして、そこからじゃがたらの実像に迫ろうとしている。ビデオや本でどこまで音楽に迫っていけるのだろう?それらのおかげで僕らはじゃがたらと言うバンドの未知の部分を随分知ることが出来て、自分の中に持っていた彼らのイメージを幾らか付加したり、修正したりすることが出来る。それがどんな意味があるのかと言われればそれまでだ。音楽だもの。出た音が全て、自分の耳で聞いたものが全て。そう言われればそれまでだ。しかし、水に浮かぶ氷山が、その僅かの部分しか姿を見せていないように、じゃがたらの無名時代、インディーズ時代を知る人は限られているだろう。その全貌を理解しようとする事はファンとして決して愚かなことではなく、その案内役としての役割を、このビデオは果たしているのだ。そう言えば4年ほど前、友人の結婚式で久しぶりに会った大阪時代の友人O先生が、このビデオを探してるんだけどずっと見つからないと嘆いていた。「オレ持ってるで~」と言うと、「そうか、何で先生に聞いてみなかったんだろう。灯台元暗しじゃあ・・」と後悔していた。その後彼にこのビデオを送って貸してあげた事は言うまでも無い。病院宛に送った宅急便の伝票の品物名には「裏ビデオ」と書いたけど(笑)。インディーズ時代の彼らがテレビに出演した時のこと、本番演奏中にパンクスが乱入してエドと殴り合いになる。テレビ局はこれを彼らが仕組んだアクシデントとして、延々とそれがお茶の間に放映されてしまう。乱闘から立ち上がったアケミがマイクに向かって叫ぶ「パンクス!ふざけんじゃねえぞ!おめえら、もっと他にやることがあるだろう。もっと大事な事がよ!」アケミが精神病院に入院する直前の法政大学でのライブ。CDで聞いても分かる異様なテンションの映像が見れるとは思わなかった。代表曲「タンゴ」の前奏の時にエドは叫ぶ「バイバイ、ブルース!バイバイ、レゲエ!バイバイロックンロール!バイバイ、パンク!オレはオレのやり方でやるぜ!オレはオレの踊りで・・」そして2年の休息の後、日比谷野音で開催された世界アースビート伝説でエドとじゃがたらは帰ってくる。お遍路さんの白装束を来たエドが、強力にパワーアップしたじゃがたらのビートに乗せて「クニナマシェ」を唄い、同時に出演していたネパール民族舞踊団のメンバー達もそれに絡んで会場は一躍ダンスビートの渦になってくるとき、僕らの体の中にも熱いビートが流れ出す。エドが大好きだった横浜寿町(いわゆる、ドヤ街)でのライブ。音楽雑誌に毒されていないオーディエンスのストレートな反応が返ってくるという理由でエドはこのライブが好きだったと言う。ドヤのオッちゃん達と肩を組み水をぶっかけながら「もう我慢できない」を唄うエド。歌詞の「ちょっとの搾取なら我慢できるさ。それがちょっとの搾取んならば」と言うのが急に生き生きと具体性を持って来るではないか。そんな貴重な映像が淡々と収められてるだけでなく、エドの片腕だったOTOが代弁するアケミのセリフ、気持ち、考え方などが凄く効果的にバックに挿入されている。代表曲の「タンゴ」は今もよく分からない歌だ。単純に考えれば、ドラッグをやってセックスすれば気持ちいいみたいな歌詞なのだが、精神を集中してやれば、誰でも一瞬にもの凄い力を発揮できるんだ。その奇跡の一瞬の事を唄った歌なのだと言うエドの言葉をOTOはビデオの中で説明している。ひとつ・・ふたつ・・みっつ数えるまでに、あんたはひとつ・・ふたつ・・みっつ数えるまでに、天国へ!ライブの各場面を見れば、JAGATARAの音楽性の特徴は、くり返し、分かりやすく言えば、アフロミュージックのようにリフを繰り返して行くことによって得られる重層感、そして内側からわき出てくる鼓動である事がよくわかる。綺麗な歌詞をつければ売れるダンスミュージックになっただろう。しかし彼らはそうすることをしなかった。と、言うよりもエドの強烈な個性、アジテーション、怒り、それらの物を昇華していくためにそのビートが必要だったに違いない。「お前はお前のロックをやれ!」「お前はお前の踊りを踊れ!」そう言い続けた江戸アケミ。各巻毎に入っている帯に書かれているOTOの言葉がある。「本当ならこんなビデオ作りたくなかった。アケミが居りゃあ作る必要がないだもん。このジレンマは最後までつきまとって離れなかった。それでもどうしても映像にして残さねばと思ったのは、JAGATARAの名前は知っていても、どういう事をやっていたかを知らずに過ごした人々の為にではない。アケミの生きているうちにアケミの言葉の重大さをキャッチしにライブに足を運ばなかった奴になんか、むしろ見せたくないぐらいだ。そうじゃない。残さねばならないのは、JAGATARAのジャの字も知らないのに、独自の嗅覚で、何かの縁でアケミに匹敵するハートの知能指数でもってチューニングを合わせてくる鋭い奴にバトンを受け取って貰う為だ。僕自身を含め、アケミのバトンは多くの人達がそれぞれのやり方で受け取って駆け抜けていくのだ。」自分はバトンを受け取ったのだろうか?自分の踊りを見つけたのだろうか?