予定は未定。
勿論そんな筈が無いのは解っているけれど、どうも楽天のメンテナンスって、米国東海岸時間の人が「さ、日記書くぞ!」と思っている時間帯に合わせているような気がしない??・・・と、誰にとも無く呟いてみる。二日連続で降ったミゾレも嘘のように、再び春がやって来た気配。去年と同じく、そこら中にたんぽぽが咲き乱れて居る。そして、去年と同じく、Weed-B-Goneで片っ端からタンポポ退治するブルル。予定日は14日なのに、5月の5日に産まれて欲しい!なんて言っていた彼。理由は、05-05-05と覚え易い日付だから。(謎)あのねぇ、まだ焼けてないのにオーブンから出しちゃ可哀相でしょう?と言っていたわたし。本当はやっぱりちょっと怖い。ブル乃助にもしもの事が有ったら、とか、わたしの体に何か起きたら、という、尤もな理由では無く、・・・・・単に、痛いのが怖い。関係無いが、痛いのが嫌いなわたしは、ピアスすら空けていないくらいなのだ。「子供は産まないの?」と訊かれて、いつも、「え~、だって、ピアス空けるのも怖いのに!」と答えていた。そう。結構意気地無しのわたしなので有る・・・。(めそめそ)「若しかしたら、母の日に産まれるかもね。」とブルル。母の日に痛いなんて最悪じゃん・・・と思うわたし。それだったら、まだ、This one is for you, mom!とか言って蹴られる方がマシ。母の日を過ぎたら、10日には両親がやって来る。空港に迎えに行く時間に産まれる、っていうのは、最悪の場合だけれども、有り得ない事では無い。なんだか、この、タイミングの未知な「人の登場」に慣れていない現代人には、ちょっと疲れる期待と不安。不安の種は他にも有る。今から利己的極まりない母親像が(今「母親象」と出て来て暫し爆笑!)浮かび上がるようで日記に書くのも忍びないのでは有るが、産後の体系や、体の変化も今から心配。オヘソの上下に伸びたベージュの線は「妊娠線」では無くて「正午線」と言うらしいが、それとか、こんなに伸びきったお腹の皮とか、とてもとても心配。心の問題も、心配しても仕方が無いのは解っているけれど、やっぱり心配。ブルック・シールズみたいになったらどうしましょ?と考えてしまう。「案ずるより産むが易し!」とカラ元気で唱えてみたり・・・。ええい、いっその事早く終わってくれえ!とすら思う時も有る。実際、何をするにも「どっこいしょ」と言ったり、夜中に寝返りをうとうとする度に目覚め、どうやってどっち向きになったら楽か、寝ぼけ眼で必死に考える事や、朝起き上がる時にも「さて、どっちから起きたら手首を痛めないで済むか?」なんて事を暫し考えたり、何か物を床に落とす度に「ああああああ!わたしの馬鹿もん!かがんで拾わなくちゃいけないじゃないのようぅ!」なんて億劫に思ったり・・・そんな事の無い毎日がどんなに素晴らしいか、もう忘れてしまった。朝、元気良く腹筋を使ってエイヤッと起き上がる事や、走ったり縄跳びをしたりスキップしたり(何歳?)美味しいイタリアンと一緒に美味しいワインを飲んだり、生魚一杯のお寿司と共に熱燗をクイッといったり、よろよろしないでシャワーを浴びたり、途中でお手洗いに行きたくなる心配無しにお風呂に入ったり、普通の可愛い靴を履いたり、今のわたしの夢は割と謙虚で小さい物だ。「なんだか、君の容態に急変が訪れた気がして・・・」「もし何か有ったらすぐ僕に電話するって解ってるよね?」「もし陣痛が始まったら5分間隔になるまで待たないで電話してよ?」ここ数日、なんだか五月蝿いブルル。「五月蝿いねぇ、もう。解ってますよ。あんまり五月蝿いと一人で産むよぉ。」なんて意地悪を言う余裕だけは有るわたし。ふと、こんなに暢気に楽天で遊んでいられるのも、あと何日だろう・・・?なんて、人事のように思ったりも、する。