パートの民主化2
一口にイタリアのマンドリンオリジナルと言っても、それこそいろいろある。作曲家により作風が違うし、楽曲の構成も千差万別だ。しかし熊谷賢一氏は、それらの違いに関係なく、基本的に「イタリアのマンドリンオリジナル」というカテゴリーを毛嫌いしているようだった。曰く…・ベースはどの部分にも一小節に音が2個しかないぞ。・チェロは全音符やリズムのきざみが殆どだ。・ギターはコードをつまんでいるだけだ。・おいしいところは全部1stじゃないか。・2ndは3度下で和声をつけるか、長音符。・半面、Dolaはわりとおもしろい。オケのチェロとビオラの役割のどちらも担っているから。聞いていて、そりゃそういう曲は確かに多いけど、そんなんばかりではないですよ~と言おうとしたが、信念に基づく迫力があり、なかなか言い返せなかった。しかし、熊谷賢一氏の仮説はかなりの部分で間違ってはいない。これまで私も数え切れないくらいの楽譜を見てきたが、日本ではほとんど知られていないマイナーな作曲者による小品は、そのメロディーは悪くないものの、いわゆる編曲技術に問題があるものが多いと思われる。ただ、イタリアオリジナルの普及に努めた中野二郎氏は、その辺をすごく意識した編曲を行っており、現在でも演奏会の定番になっている楽曲は、各パートとも非常に工夫が凝らされている。以後、熊谷賢一氏は、様々なオリジナル曲を世間に発表し、そのポリシーを実践していった。ボカリーズ、バラード、ラプソディー、群炎などの各シリーズは学生を中心に幅広く演奏されてきた。さて、熊谷賢一氏は私にこう言った。・・・・・各パートに光を当てることにより、どのパートのプレイヤーも弾いて楽しめ、自分のパートを聴衆にアピールすることができなければならない。そうでなければ楽しくない。自分の作る音楽は、過去のパートの役割を打破したい。ベースだってセロだってギターだってどんどん旋律を受け持たせる。そして、1stだけでなくみんなの力で曲を表現する。それがパートの民主化なんだ。・・・・・この先生の言葉は、学生だった私に相当大きな教えであった。その影響は計り知れない。パートの民主化。音楽はみんなで行う共同作業。以後、合奏が楽しくて楽しくて仕方がない。そして編曲作業をするときは、必ずそれぞれのパート員が演奏している様子を思い浮かべている。自分の楽器に誇りを持ち、主役になるときはしっかりアピールし、脇役になるときは主役をしっかり支える、そういう風にして聴衆に音楽への思いが伝わるような演奏をしたい、といつも考えている。