僕の血は他人の血(13)
第九章 生着 移植から一週間近くが経った。食事はほとんど摂れず、食べ物の匂いをかいだだけで吐きそうになる。人によっては移植直後から普通に食べられるらしいが、僕はどうにも食べる気がしない。栄養剤で生き長らえている。白血球の数値は上がらない。つまりは生着が確認できないということで、造血細胞がまだ機能していないことになる。最初の大きな関門を越えていないのである。普通、一週間から十日で白血球の数値は上がり、生着が確認できるらしい。ということは、僕の移植はうまく行っていないのではなかろうか。もし、生着しなければどうなるのだろう。僕の白血球はもう死滅しているし、移植した造血細胞が機能しないのならば、もはやここからは出られないことになる。そう言えば、木村先生が言っていた、奥さんの二回目の移植というのは、こういうことなのかもしれない。生着がうまく行かなかった場合は、もう一度やるのだろうか。死への不安が増大している。友愛病院での治療は、今思えば、死への緊迫感はそれほど大きくはなかった。最初の頃こそ、様々な不安や恐怖に襲われたが、「寛解」に達してからは治療の間でも死が目前にあるという感覚は薄れていった。だが今は、すぐ隣に死に神がうずくまり、ふとしたきっかけでその鎌が振り下ろされるといった感覚がある。ここにはひどい看護師もいる。河原という年配の女性看護師だ。言葉が汚いし、態度もでかい。いやみも上手だ。看護師にもこんな人がいるのかと僕は何度も驚かされた。特に驚いたのは、何に腹を立てたのか知らないが僕の血管から針を引き抜く時に、管を持って引っ張り抜いたことだ。小さく血が飛び、僕は痛みを感じた。彼女は「あら、ごめん」と平然と言い放ち、わざとやったことを隠そうともしない。こいつは人間だろうかと僕は疑った。こんな下劣な生き物が看護師の顔をしてのさばっているとは、いったいどういうことなのだろうか。まあ、ここでは不思議ではないかも知れない。病院のレベルをそこで働く人の人格で計るならば、まちがいなくここは最低レベルであろう。もちろん、いい人もたくさんいるのだろうが、僕はあまり出会えない。ひとつには忙しすぎることがあるのかも知れない。ここの人たちは医師を含めて、常に何かに追われているような気がする。忙しさは人々の余裕を奪い、精神を削り取る。やせ細った精神を抱えて、みな苦しんでいるのだろうか。人間の本質は結局、醜いものなのかどうか、それは僕にはわからない。ただ、少なくとも何の抵抗もできない僕に、ひどく残酷な仕打ちをする人間が存在することは確かである。もともと僕はあまり人間を信じては居なかったが、こうした人間の存在を間近に見ると哀しくなる。人間はどこまでも醜くなれるものだ、ということがよくわかる。一口に人間と称しても、その内容は多様である。山本医師にしても、彼女が見ているのは僕ではなく、僕のデータである。ここのところ、熱が出て、僕はよく解熱剤を頼むのだが山本医師は容易にその許可を出さない。三十八度にならなければ駄目だとか、色々な理屈を言って、なかなか解熱剤をくれない。友愛病院では飲む間隔さえある程度空いていれば、すぐにもらえたのに、看護師に苦しさを訴えても山本医師がいつも止めてしまう。理由を聞いたら、解熱剤を使うと正確なデータがとれないからと言われた。つまりは、僕はデータを取るために苦しみに耐えなければならないということなのだ。ここでは僕は患者ではなく実験材料に過ぎないことがよくわかった。一刻も早く、こんな病院は出て行きたいと思った。とにかく、僕はここで死の不安に怯え、病院スタッフに憤りを感じ、熱に苦しんでいる。窓越しの由美の姿が唯一の救いかも知れない。彼女はこの遠い病院に毎日のように来てくれている。僕はこのところ愚痴っぽくなり、看護師や山本医師の悪口を言い続けている。由美は疲れるだろう。僕の鬱屈のはけ口になるのはつらいことだろうと思う。ただ、感謝するだけである。由美に触れたいと思う。ガラス越しの由美が現実なのかどうか、僕には自信がなくなっているためだが、それはかなわぬ夢である。山本医師や看護師たちにとって、僕は扱いにくい患者であるに違いない。客観的に見れば彼女らは僕の治療を行っているのであり、僕から感謝されて当然であろう。だが、僕はむしろ彼女らを憎み嫌っている。彼女らにとって見れば、僕の感情は理解しがたいものなのかも知れない。けれども、患者と雖も人であり、人として扱われぬことを憤るのは自然なことである。医学が扱うのは人であり、物質としての肉体ではないはずだ。おそらく、ここでは研究の名の下に多くの患者やその家族の心がずたずたにされているのだろう。そして、そのことは沈黙の海に沈められている。 二月も半ばが過ぎ、移植から一ヶ月近くが経とうとしている。白血球の数値は多少上がり、おそらく生着したであろうと言われた。一応、移植は成功したらしい。しかし、無菌室からは出られず、食事も摂れない。体重も減り続けている。頻繁に腹痛にも襲われる。相変わらず、大量の薬剤を点滴され、薬を飲まされ、食事を取るようにと責められている。意識は常に朦朧とし、自分がどこにいるのか、よくわからないこともある。 薬のせいなのかどうか、幻覚のような夢を見る。僕は魚の群れの中にいて、僕の皮膚の上を魚が擦るように過ぎ去っていく。冷たい鱗の感覚が僕の肌に残る。魚は何匹も何匹も僕の皮膚を擦っては過ぎ去っていく。その冷たさを感じるたびに、僕の体はぴくりと縮む。僕はただ流れ、自分が魚なのか人間なのかよくわからない。魚の群れは途切れることはなく、繰り返し繰り返し僕の体は縮む。単調な夢だ。その妙な圧迫感と冷たさだけが体に染みてくる。 僕は生きているらしい。もはや、先のことを考える意欲もなく、今を悲しむ気力もない。途切れ途切れの意識の中で、日にちを数える。医師のことも看護師のことも、もうどうでもいい。時が過ぎるのをただ待つだけだ。不安もない。今死ぬことになっても僕は静かに受け入れるだろう。死を受け入れる装置が人間の中にあるのだと思う。本当に死が近づいた時、人の精神と体はそれを受け入れる準備を始めるのだ。静かに、安らかに死を迎えるシステムが人間に内蔵されていて、死の間際にそれは発動する。衰弱は安息を運んでくる。怒りも不安も悲しみもそれは消し去ってしまうようだ。由美の姿も、今は遠い。 無菌室を出た。閉鎖された空間から出られたわけであるが、僕の体はまだ血を造ってはいないらしい。白血球の数値は上がってきているが、赤血球や血小板の数値はかなり低く、輸血で生き長らえている状態である。食事も相変わらず摂れない。わずかに果物の缶詰が喉を通る。僕の胃はすでに縮こまり、その機能を失っているのではないかと思われる。「お帰り。」一般病室で由美は僕の手に触れ、そう言った。半ば表情すら失っていた僕は、笑ったつもりだが、それが笑顔になっていたのかどうかはわからない。人のぬくもりを久しぶりに感じ、僕は何だかほっとした。人に最期に残される感覚は皮膚感覚ではないかと思われた。「長かったね。」「ああ。」由美も痩せたなと僕は思った。移植から二ヶ月余りが経っていた。移植後、約一ヶ月で無菌室から出られると説明されていたことから考えると、僕の移植後の経過が決して順調ではないことがわかる。それでも無菌室の外に出られたことで、僕はひとつの壁を越えたような気がした。しばらく、由美と話をし、その肌に触れた。今まで映像でしかなかった由美を実感した。現実感がようやく戻ってきたような気がする。僕は確かに帰って来たのだ。しかし、それはまた、不安と恐怖との戦いの日々が始まることを意味しているのだが。 相変わらず変な夢は見る。このところ見るのは、小人の夢である。ベッドのパイプの上に小人の国がある。そこには王や王子や姫がいて、王位をねらう悪党もいる。僕は様々なキャラクターと同化し、冒険を繰り返す。安手のファンタジーかゲームのような下らないストーリーの中で僕は彷徨うのである。その夢には妙な現実感があって、それが夢なのか現実なのか区別がつかなくことさえある。魔術や超能力も飛び交う。その荒唐無稽な物語になぜ、現実感があるのかよくわからない。人にとって現実とは何だろうか。現実はただ人間の脳がそう認識しているだけで、それが真実なのかどうかわからない。逆に言えば、脳が空想や幻想を現実だと認識しさえすれば、それはその個体にとっての現実となる。それが客観的に真実なのかどうかはあまり意味がない。人間の精神など危ういものである。主観的事実がすべてだ。人は皆、違う世界に生きているのかも知れない。誰もが大いなる幻想の中で暮らしている。僕のような境遇の者にとっては特に幻想への逃避は魅力的である。 山本医師が来て、経過を話していった。やはり、あまり順調ではないらしいが、生着はしたらしい。造血機能がうまく働いていないのは、免疫反応のせいかもしれないし、栄養が足りないという理由も考えられると言うことだ。彼女とはあまり話をする気にもなれないので、質問はしなかった。また、聞くべきこともないような気もした。結局、僕の体次第と言うことで、僕の体ながら自分の意思ではどうにもならない。できることと言えば、なるべく食べることぐらいだろうが、食欲は全くなく、無理して食べると吐いてしまう。今の僕は我ながら少し投げやりであると思う。精神も体も疲れ切っているようだ。 「CTを撮らせてもらいます。」再び、山本医師が来てそう言った。相変わらず断定的な物言いだ。何だか深刻そうな顔をしている。CTとは何なのか、何のためにCTとやらを撮るのか、よくわからなかったが、反問する気にもなれず僕は頷いた。検査室に連れて行かれ、冷たいベッドに寝かされた。プラスティックか何かでできているようだ。ベッドの奥には半円状のトンネルのような穴がある。そう言えば、テレビで見たことがある。体の断面が撮影できる装置のはずだ。今更、体の断面を撮ってどうするのだろうか、そう思っているとベッドが動き始め、僕の体はトンネルの中に入っていった。トンネルの中で何回か僕の体は前後に動いた。X線が僕の体を透過しているのだろう。僕の輪切りの写真が出来上がっているはずだ。検査が終わると、特に説明もなく、病室へ連れて帰られた。一体、何だったのだろうと一瞬のどたばた騒ぎに戸惑いを覚えた。 子供の頃の夢を見た。僕のそばには小さな犬と両親がいて、犬は僕にじゃれつき、両親は微笑んでそれを見ている。「気をつけないところぶよ。」母親が言う。「わかってるよ、母さん。わかってる。」気がつくと両親は消えている。僕は犬を抱えて泣き始める。犬はだんだんと冷たい石になる。僕は抱えていた石を放り投げて駆け回る。父を、母を、呼ぶ。静かな夕暮れの中を僕は駆け回る。誰もいない。続く。原鶴温泉 花水木