カテゴリ:季節情報担当:平井
今日は塩原多助を紹介します。 明治時代の読本(教科書)にも載っている塩原多助は、上州新治の生まれです。 三遊亭円朝が塩原多助一代記としてまとめあげ、今もお芝居や落語で聴く機会も多いです。。 円朝が取材した時は、怪談話としての取材でしたが(当時は牡丹灯篭や真景累ヶ淵等)、立身出世の物語としての作品になり、明治時代のベストセラーにもなった作品になりました。 19で上州から志をもって江戸に出ましたが、仕事が無く思い余った多助が昌平橋から身投げしようとしたところを、炭問屋の山口屋善右衛門に助けられ奉公人として店に雇われました。 20数年の奉公の間、質素倹約に努め、本所相生町に店を出すまでになりました。 本所には過ぎたるものが二つあり津軽大名炭屋塩原)と津軽十万石の大名と並び称されるほどの成功をいたしました。 多助は商売で成功しただけでなく、多くの社会貢献もしています。四谷に残る忍原横町(塩原横町)や亀戸天満宮境内の石燈籠など、また多助は榛名神社で開運の報恩にと石玉垣の奉納をしています。 多助は上毛カルタに紹介されています。馴染みのある人物です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.05.10 21:47:45
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