2009/07/27(月)16:02
廃墟なれども。
実家の家は築33年。
私と同じ年でございます。
その実家の隣に・・・築100年を超える古い建物がございますの。
これは家の父親が育った家。
ジャスミンのじいさんもひいじいさんも住んでいた家でございます。
いや正確にいえば・・・
住宅兼工房だった場所ですわ。
うちは、ひいじいさんの代から商売をやっておりまして。
当時は、つくって売ってる製造大卸・・・の商売でございました。
大昔、父親が大学を出るくらいまでは・・・
二階では家族とともに、たくさんの職人さんが寝泊まりし・・・
一階は工房や食堂、厨になっていたようです。
私は、職人さんたちが寝泊まりしていた時代を知りませんが
私が小さいころは、まだ海外生産などしていた時代ではございませんでしたので
職人さんたちがその古い建物でたくさん働いておられたのがまだはっきりと記憶に残っております。
大ぜいの友達と親しく交わって遊ぶタイプでもなく・・・
商売家でしたので、両親も祖父母も大人という大人は子供の相手などしてくれるわけでもなく
私は、その工房をちょろちょろと走り回って育ちました。
当時、すでに職人さんというのは年配のかたばかりで・・・
私は年配者に仕事の合間に相手をしてもらいながら日々を過ごしたのを記憶しています。
建物もその当時からとても古うございました。
歩けばミシミシと音を立て・・・あちこちらスリキレて黒光りをしていましたが
夏は涼しくさわやかな風が抜け、冬はほっこりと陽の光が暖かく・・・なんとも居心地のいいほっとする場所でした。
夏場は涼しげな風の抜ける工房の2階で、布の間をごそごそと這いまわったり。
二階の階段の奥の部屋・・・日のあたるその場所で、冬場はぬくぬくと本を読んだり絵を描いたり。
一人遊びをしていると
「今日は幼稚園はどうしたね?」
「なに読んでるの?」
「ジャスミンちゃん絵が上手ね」
「ジャスミンちゃん、こんな歌知っとるね?」
オバチャンやオジチャンがそう話しかけてくれましたっけか。
幼いころに両親や家族と濃い時間を過ごした記憶はないのですが
私は、職人のオジチャンオバチャンたちのおかげでそう寂しい思いもしなかったんではないかと思います。
その懐かしい記憶の日本家屋も・・・今はもうボロボロ。
いや・・・昔からボロボロだったんですけどもね。
製造を海外に移し、別に事務所を建ててからというもの・・・古い家は、ただの倉庫になりました。
建物というのは不思議なもので・・・人の出入りが減ると加速度的にボロ化が進むのでございます。
今はなんとか倉庫の役割を果たしているものの・・・やはり廃墟的な雰囲気はぬぐえません。
いや、古い建築とはえらいもんで・・・あの大きな梁や柱は未だにがっちりとその家を支え、
「まだまだ若いもんには負けねえぞ!」といった気合を感じるのでございますが。
しかし・・・それでもやぱりボロボロなんだよねぇ。
そんな中。
つい数年前、実家の目の前を通る県道を拡張する話が持ち上がりました。
とくに拡張が必要な道とも思えないのですが・・・
政治やらお金やら利権やらいろんなものが絡むんでございましょう。
住民の反対はどこ吹く風で、買収の進んだ場所から道の拡張がはじまっております。
その道の拡張に・・・ちょこっとだけひっかかるんですわ。
古いお家。
ちょこっとだけひっかかる・・・ということは、ちょこっとだけしかお金も頂けないんですけども
しかしちょこっとだけひっかかるから「じゃあちょこっとだけ削りましょう」というわけにもいかず。
解体することが決まったようです。
壊すのに莫大にお金かかるそうで頭が痛いですけどもね。
(その1割分も貰えないんだって~~。なんじゃそれ~~)
しかしそんなことよりも。
やっぱり・・・ちょっと寂しい気持ちになりますわ。
ボロボロですけどね。
住んだことはないですけどね。
想い出のいっぱい詰まった場所でございます。
ま・・・これも時代の流れじゃねぇ。
寂しいな~。