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悪意 東野圭吾 著
悪意を読んで、悪魔の手毬唄の冒頭を思い出した。金田一が山すその道を歩いていると向こうから老婆が歩いてくる。「お庄屋様おりんでこざいます。帰ってまいりました。・・・」金田一はこの人がおりんさんなんだと思い込んだ。もう一つ言えばおりんさんは存在すると思い込んだ。 悪意にも冒頭で日高の人間性を疑わせる事件を用意している。日高が猫を毒殺したかのような印象を与えることで読者は日高に対してのイメージを悪く持ってしまっている。読者に思い込ませることで一方的な思い込みから抜け出せなくしている。 著者は文中で「人間を描くとは、説明文ではいけない。ちょっとしたしぐさや台詞などから、読者が自分でイメージを構築していけるように書く」 ここでの犯人の動機は自らの過去の汚点を隠すために、別の動機を自ら作成しそれを捜査陣に発見させることであった。 【新品】【本】悪意 東野圭吾/〔著〕 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 25, 2016 09:22:29 PM
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