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岡山県浅口市の円珠院に伝わっている「人魚のミイラ」を倉敷芸術科大学がCTスキャンで見たところ、
上半身は、綿や布などにフグの皮と動物の毛を張り付けたもので下半身は紙などを皮で張り付けたものでした。 つまり人魚ではなく誰かが作った「創造の物体」ということになりました。作ったのは1800年代という ざっくりとしたことしかわかりません。 1800年代とは、江戸時代後半1850年代にペリーが浦賀に来ています。1870年代には明治になっています。 何故「人魚のミイラ」を作ったのか? 作らざるおえなかった。 面白半分で作ってみたら案外うけた。 しかし保管していたのは、お寺であること。大事に保管されていたこと。 200年前ですからたまたま偶然残ったとは思いたくない。 少し調べてみたら・・・ 人魚イコール不老不死 というキーワードが出ました。これは日本各地に残っているというから 死を恐れたのは当時の人も同じですね。「八百比丘尼」は人魚の肉を食べて800年生きてもういい、 ということで 洞穴にこもって断食して死をまったとか。 長寿を願って人魚を作った。・・・・のだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 8, 2023 07:45:18 PM
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