未知との遭遇

2006/05/11(木)11:50

初語記念日♪

療育(12)

前回の日記の書いたように、夫や義母については、あんな感じでちょっと心の距離を置きながら、 かえでと二人の娘の育児は、また毎日続いていった。 こども発達センターに通うかえでは、年長になる頃、オシッコが一人でできるようになってきて、 オシッコに関してはオムツを必要としなくなってきた。 身体が平均より大きめだったので、このままオムツを使っていくと、サイズがなくなる 当時『はかせるオムツ○ーニーマン』ってのがあった。(今もあるのかな?) それのビッグサイズを使っていたけど、オムツの金額もバカにならないし、 オシッコができるようになったのは、本当に嬉しかった。 それに、かえでより明らかに重度の発達障害の子が、 かえでより先にオムツが取れたというのを聞いて、ちょっと焦っていたこともあったしね オシッコが出来たと喜んではいたけど、ウンチはなかなか出来なくて、 いつもパンツの中にしてしまっていた 結局、ウンチがトイレで出来るようになったのは、小学校4年生になる頃だったのだけど、 諦めかけて、私は一生かえでのシモの世話をしていくのだ!なんて覚悟もしていたので、 ある日突然出来るようになった時は、狐につままれたような気分だった あの迷子になった病院(こちらをクリック)へも毎月通って、 心理リハビリの先生が、知育玩具で遊びながら、かえでの発達の様子を細かく診てくださった。 オウム返しなら、発語があることから、 何か欲しがった時に、オウム返しで言わせてからそれを渡すようにしてみましょうと言われた。 たとえば麦茶が飲みたい時、かえではクレーンで私の手を引っ張って冷蔵庫に行き、麦茶を出させる。 そこでこちらが「お茶」と言い、かえでも「オチャ」と言ったら、注いであげる。 何でもそういう感じで物と言葉を一致させてから、要求を満たしてあげる。 しばらくそうしていたら、すぐにオウム返しで言葉をどんどん真似していくようになった。 なかなか自分から要求している言葉を発することは出来なかったけど、 全く言葉らしいものがなかっただけに、オウム返しでも十分に嬉しかった 私は歌が好きで、しょちゅう口ずさんでいる♪ 娘達にうるさいと言われるけど、そのお陰か?かえでも歌が好きで、私が歌ってあげると 「もっともっと」という感じで続きをせがむ。 その続きをせがむ時に、続きの歌詞を自分でちょっと言うようになった。 歌詞といっても、ひと文字かふた文字分くらいだけど、それでも大きな進歩だった ある晩、かえでと上の娘と私の三人でお風呂に入っていた時のこと。 そろそろ上がろうかと思って、 「かえで、そろそろ出ようか?」と声を掛けた。 いつもならここで私が「かえでが出るよ~」と外で待っている夫やおばあちゃんに声を掛けて、 かえでにも「出るよ」とオウム返しで言わせていた。 でもその日、かえでは自分から初めて 「でる」 と言ったのだった びっくりした。初めての自分から発した言葉だった。すごく嬉しかった 上の娘も 「すっご~~~い!!  今、言ったね!  かえで、しゃべったね!」 と言って、私を見てびっくりしてる。 二人で顔を見合わせて、すごいねーーー!と喜び合った。 こうして家族でかえでの発達を喜べるって、すごくありがたいことだと思って、 上の娘の思いにも、とても感激した。 でも、次に娘の言った言葉。 「今さぁ、お母さんの方を見て、  『でぶ』って言ったよね!!」 「・・・・・・」 普通に生まれて、普通に育って、普通に言葉を話して、友達と遊んで、 という全く当たり前のことが、かえではできない。 言葉は唯一人間だけに与えられたコミュニケーションの手段。 宇宙人かえでは、少しずつ「地球」の中の日本の言葉を覚えていってくれた。 少し私達のそばに近づいてきてくれたような気がした。 めでたい初語記念日だった      

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