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カテゴリ:スポーツ関連
大相撲の元関脇長谷川の長谷川勝敏氏が、ご逝去されました。
享年81歳、膵臓がんでご逝去とのことです。 ![]() 長谷川関は、私が小学生で相撲を見始めた頃は、既にベテランで引退直前でした。 しかし、その左四つの取り口が力強く、とても印象的で応援していました。 直接見ていない頃になりますが、1972年3月場所では12勝3敗で幕内最高優勝を果たしています。 後の大関魁傑と、4分近い優勝決定戦の末に、初優勝を遂げています。 この時、長谷川関は関脇連続6場所目で、前の場所は10勝をあげています。 優勝すれば大関という声もあったようですが、大関昇進は果たせませんでした。 ![]() この頃の相撲界は、混沌とした時期でした。 前年に横綱大鵬が引退、横綱玉の海が現役で急逝という悲劇に見舞われ、1人横綱の北の富士も不振に喘いでいました。 この年は1月場所が前頭栃東、3月場所が長谷川、5月場所が関脇輪島、7月場所が前頭高見山と、初優勝が続きました。 現在の相撲界と、少し似たような状況でした。 長谷川関の大関昇進は、その場所の12日目の大関同士の琴櫻と前の山戦が、監察委員会より無気力相撲の警告を受けたことから、話題がそちらに集中してしまいました。 また、当時琴櫻、清国、前の山、大麒麟の4大関(前の山はその場所限りで関脇に陥落)時代だったことも、影響したようです。 その後も現役で活躍した長谷川関は、関脇を当時最多記録の21場所務め、小結と関脇の通算在位合計30場所も、当時の記録でした。 大関にはなれませんでしたが、「史上最強の関脇」と呼ばれました。 1976年1月場所10日目に、史上初の幕内連続出場1,000回を達成しましたが、その場所は7勝8敗、翌3月場所は6勝9敗と負け越し、5月場所も初日から4連敗したところで、引退を表明しました。 子供心ながらに、突然の引退という印象でした。 ![]() 引退後は年寄秀ノ山を襲名し、佐渡ケ嶽部屋付きの親方として、後進を指導しました。 日本相撲協会の理事も務め、2009年7月場所限りで定年退職しています。 大関にはなれなかった長谷川関ですが、私生活では生命の危機を間一髪免れるという幸運が、何回かありました。 ちゃんこ番の時に同僚力士がフグ中毒死した事件では、同じくちゃんこ番だったものの、たまたま腹の調子が悪く、味見をしなかったため九死に一生を得たということがありました。 また、搭乗するはずだった飛行機を、たまたま友人に会ったことでキャンセルしたことで、その飛行機が墜落、全員が犠牲になるという事故から免れる、ということもありました。 元力士としては81歳までのご長寿でのご逝去に際し、心よりご冥福をお祈りいたします。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2026.06.11 19:22:13
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