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カテゴリ:スポーツ関連
1990年のドラフト会議で、中日ドラゴンズから1位指名を受けた元投手、小島弘務さんがご逝去されたというニュースがありました。
まだ58歳の若さでのご逝去に、大変驚きました。 ![]() 小島さんは京都出身、平安高校から駒澤大学に進みますが、1年生の夏に中退します。 その後、社会人野球の住友金属に入社します。 補強選手として都市対抗野球にも出場しますが、登板機会はありませんでした。 その後、1989年に西武ライオンズにドラフト外で入団します。 春のキャンプにも参加していたところ、入団が野球協約違反と認定されて、無効になってしまいました。 大学中退者でありながら、在学期間が短かかったことから、住友金属と日本野球連盟には高卒扱いで登録されていました。 ![]() このことが、当時の野球協約の定めにある「高卒の社会人野球選手は、3年間プロ入りできない」という項目に抵触したこととなります。 小島投手の西武入団は無効になり、浪人生活を送ることを余儀なくされてしまいました。 当時の西武の根本管理部長が、小島投手を自宅で面倒を見て、指導をしたそうです。 そして、翌1990年のドラフトで、中日ドラゴンズから1位指名を受け、ようやくプロ野球選手としてスタートを切ることができました。 私はこの時は名古屋におり、この一連の出来事は記憶しています。 西武のお墨付きの選手ということで、期待できると思ったものです。 中日には1997年まで所属し、1998年にはトレードで千葉ロッテへ移籍します。 翌1999年オフに戦力外通告を受け、2000年にはテストで台湾プロ野球に入団しますが、その年限りで現役を引退します。 ![]() プロ野球での通算成績は、登板167試合、19勝15敗、8セーブ、防御率3.60でした。 引退後の様子はあまり存じませんでしたが、アマチュア野球の指導者として活躍されていたそうです。 2015年には阪神大学野球連盟2部の追手門大学の監督に就任し、56期振りに1部へ昇格させています。 その後は、中日時代のチームメイトである佐野心氏が監督、古池拓一氏が投手コーチを務める浜松開誠館高校のコーチに就任します。 さらに、2024年には浜松修学舎高校の監督に就任しますが、2025年11月に脳梗塞を患い、2026年3月に退任します。 治療に専念されていましたが、先日、肺がんのためお亡くなりになったそうです。 1990年のドラフト2位は、後に阪神の監督にもなった矢野輝弘氏でした。 心よりご冥福をお祈りいたします。
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最終更新日
2026.08.10 17:26:59
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