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カテゴリ:気になるニュース
今月15日、また衝撃的な事件が起きました。
17歳少年による母親殺し。 少年は首を切断し警察にそれを持って自首、さらに切断した右腕は植木鉢に置き、塗装してあったそうです。 この猟奇的な事件、背景はやはり母子の癒着にあるように感じられます。 少年は福島県の進学校に親元を離れて通い、高1の夏休み過ぎから休みがちになり、母親が頻繁に世話をしに訪れていたそうです。 しかし今年2月、実家が土砂崩れにより半壊、この事件により母親が子供ばかりに構っていられなくなり、それも伏線と見られているようです。 人生において何か上手くいかなくなった時、内省する事は誰にでもあることだと思います。 自分の内面を問題に気付くと、自分の歴史を振り返り、主に育児を担当してきた母親の責任に帰着する事は多いと思います。 そして、今の自分を壊して再スタートするには母親との関係をリセットしなければ前に進めない、という心情は理解できます。 今でもまだ人気のある『新世紀エヴァンゲリオン』の根底に流れるモチーフは「母性」であるとも言われています。 私は観ていないのですが、主人公が「さようなら、母さん」と自分を維持するための母親との決別を決意し、他との共存を目指す、という象徴的な台詞もあるようです。 このように、母性との健全な決別は成長の一段階として必要なものだと思われますが、これが上手くいかないと、最近多い“親殺し”という事件になってしまうのかもしれません。 成長に不可欠な自己改革には相当な内面的な苦しみが伴いますが、ゲームなどに馴染んだ世代は、リセットの仕方がボタン一つで簡単に全てを変えてしまえる妄想があるように思えます。 トラブルに簡単に対処し、問題に対処する能力が低いまま成長すると、「母親を殺したらその先どうなるのか」といった事まで思いが及ばないのかもしれません。 また、問題の根本にはコミュニケーション不足があるように思います。 テレビで高校生へのインタビューを見たら「塾が忙しくて帰りが遅いから親とは話さない」「友達とメールしてればそれで満足」「親が仕事で遅い」など、密なコミュニケーションが不足してると感じました。 それに幼い頃から安易にゲームや携帯に親しんでしまっていて、親もそれを際限なく許容している風潮があるので、物理的には側にいるのにディスコミュニケート状態という事も多いように思います。 子育て期の父親が仕事で忙しいという事も大きな問題だと思います。 時間的な問題でコミュニケーション不足になると、父親は子育てに自信を無くし、ますます子供との距離が開くという悪循環になります。 こうした父親の不在が母子の癒着を強める原因になると思います。 どんな人間関係にも言えることですが、良いコミュニケーションを持つ事が関係維持に不可欠だと思います。 夫婦でも、忙しくて話をしない日が続くと、喧嘩しているわけでもないのに何となくそぐわない様な違和感が出てきますし。 また、この事件で、子育て中の私が気になった点がもう一つ。 殺された母親が保育士だったという事。 育児素人の私は、日々自我が強くなる我が子を「どうやったら優しい良い子に育つのだろう」と悩んでいますが、子育てのプロの子供がそんな風に育っていたなんて…とかなりの衝撃を受けました。 この事件で、色々な面で衝撃を受けた人は多いのではないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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この事件、衝撃的でした。
うちの子はそうならない?と思いつつも 親が嫌いと思ったことはあっても殺そうとは 消そうとは思わない。この当たり前の感覚は どうやったら身につくものなのか? 自分はどう身につけたのかと。 後母親が保育士さんだったことについて。 私は園児達がショックを受けないだろうかと。 突然先生がこなくなるわけですから。 保育士さんは子供の世話のプロではあると 思いますけど、子育てのプロではないとも思います。 他人の子供には客観的になれても 自分の子供を育てるのはやはり試行錯誤 だと思いますよ。 (2007年05月17日 20時40分30秒) |