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古代のロマンをたずねてpart.2

古代のロマンをたずねてpart.2

桜井茶臼山古墳

今回の一番の目的地、桜井茶臼山古墳です。


この古墳は、鳥見(とみ)山の北麓を南から北に延びる丘陵の先端を切断して築造した奈良盆地東南部を代表する前方後円墳です。


築造時期は4世紀後半か、それよりやや以前とされています。


いわゆる古墳時代前期の古墳で、箸墓(はしはか)古墳に次ぐ時期の大王級の墓と考えられています。




桜井茶臼山古墳



私は、古墳を見ると何故か頂上に登りたくなってしまいます。
宮内庁の管轄で入ってはいけないところが多いのですが、中には登れるところもあります。

一番最初に登ったのは箸墓の近くのホケノ古墳でした。
箸墓が正面に見えてとても素晴らしかったです。

それから、羽曳野にある津堂城山古墳に登った時も周りの掘り跡など良く見えて面白かったです。


今回も桜井茶臼山古墳に来て、登れると知ったので是非登ってみようということになりました。




頂上




頂上に登ると、一つ古墳を制覇したような気分になります。
やったね、って感じです。
この後、メスリ山古墳にも登っちゃいました。



この後、上宮遺跡に行ってみました。


聖徳太子が幼少・青年期を過ごしたとされる上宮(かみつみや、うえのみや)の名称は、父の用明天皇の宮の上方に営まれたことに由来すると言われています。



上の宮遺跡





6世紀後半から7世紀初頭にかけての豪族居館の跡と推定されています。

さらに、同時に出土した木簡、琴柱、ベッコウ等の貴重品や、ここの地名が上之宮(うえのみや)であることから、聖徳太子が住んだ上宮の可能性が高く、世間から注目される遺跡となるました。


しかし、この地域が古代の大豪族・阿倍氏の本拠に近いころから、阿倍氏の館とする説、あるいは崇峻天皇の宮殿説、渡来系氏族・谷氏の居館説などもあるそうです。


↓は園池遺構や石組み遺構です。



遺跡



桜井はどこを歩いても歴史のぬくもりを感じることが出来ます。

ゆったりとした気持ちで歩く桜井、とても気持ちの良いところです。


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