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琵琶湖疏水

琵琶湖疎水は都が東京へと移り、人口も35万の都市から25万人へと激減し
産業も衰退していく中で、京都復興の大事業として計画されたものでした。





琵琶湖疏水






滋賀県の大津市、三井寺近くから長等山をトンネルで抜け、山科盆地の山麓、幾つかのトンネルを流れ、日ノ岡山のトンネルを抜ける経路、中でも長等山の第一トンネル(2,436)は当時、類をみない長大トンネルでした。


赤い橋








この大事業に際して当時の北垣国道知事は工部大学、今の東京大学を卒業したばかりの21才の青年技師(田邊朔郎)を抜擢することになります。






多くの反対もあったようですが、21才の若者に未来を託す決断をした北垣国道知事さんは本当に偉かったと思います。






決断したのが明治14年、幾多の困難を乗り越え明治23年9月、竣工式を迎えます。





これにより琵琶湖より京都への水運が可能になり、九条山より蹴上にかけては、582mに36mの標高差があり勾配が15分の1の急であるためインクライン(傾斜鉄道)により三十石船をそのまま台車に載せて上下させました。





また蹴上発電所で発電された電力は日本最初の路面電車開業へとつながり、各家に電灯が灯ることになります。





琵琶湖疏水の終点は↓です。
琵琶湖疏水を通ってきた船はトロッコに乗って山の下まで運ばれます。
そこで、船はトロッコに乗ったまま荷物を積んでここまで上がってきて、今度は船でまた琵琶湖疏水を上って行きます。
そうやって、多くの荷物を運んだのですよね。




凄い発想と凄い技術力ですよね。






終点








そのちょうど反対側に今では、トロッコの線だけ残っています。






トロッコ







今ではインクラインは廃止されていますが、琵琶湖から山科を経て、南禅寺から鴨川への本流、そして南禅寺から哲学の道、北白川に至る分線は上水道、防火用水として、あるいはインクラインの桜並木、哲学の道を始めとする水辺に親しめる憩いの場、南禅寺水路閣は文化財として、竣工110年を迎える現在機能している琵琶湖疎水です。





↓は今も現役の関西電力蹴上発電所です。







建物







さて、話は前後しますが、この琵琶湖疏水の途中に日向大神宮があります。
pleさんに教えていただいて以来、どうしても行きたかった神社です。





想像以上に素晴らしいところでした。
内宮や外宮、天の岩戸もあります。
続きは次回とさせていただきます。


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