カテゴリ:棚から牡丹餅でフランス語翻訳者
1989年(1年目)
5月末に渡仏しました。それまで勤めていた日本の「K社」からの派遣です。派遣先は、その「K社」と、フランス企業の「B社」のオーナーである「B氏」が半分ずつ出資した会社でしたが、約40名の社員がいて、日本人は私だけ。場所はロワール地方のド田舎。周囲に日本人の気配は全くなし。中国人も黒人もいませんでした(笑)。 現地の社長であったB氏の指示は、「ここはインターナショナルな事業所なので英語を話しなさい。フランス語は覚えなくてよい」。 もっとも、英語は中学・高校で勉強しただけですから、会話能力はありません。ここで早くも、「机上の学問が役に立たない」ことを痛感した訳です! かといって、文句を言っているヒマはありません。何が何でも、聞いて・理解して・話して・理解してもらわないと、仕事も生活もできないのですから・・・ 8月には英語で夢を見ていました。内容は挨拶程度ですが(笑)。 そしてこの頃から、社長命令に反して、仏和辞書を常に携帯するようになりました。耳にした単語を辞書で調べて、赤線を引く。例文を見て理解できない単語があると、それを調べる。キリがありませんでした(当たり前です!)。 挨拶とか単語ではなく、文章にして話した一文は今でも覚えてます。事務所の仲間に、こう言いました。 Je vais à l’atelier. 皆んなが嬉しがって、「もう一回言ってくれ」って。何度も言わされました。 そんなことが社長のB氏にも伝わったのでしょう、11月頃に、「ここはフランスだからフランス語で話しなさい」と言われました。フランス語を勉強することを「許可してもらった」わけです。年末にはフランス語でも夢を見ていた記憶があります。せいぜい「Je vais à l’atelier」でしたが(笑)。 「えいご漬け」というトレーニングソフトがありますが、現地での生活は「実物大の英語漬け・フランス語漬け」なのです。 つづく フランス語翻訳を生業にしています
最終更新日
2007年07月06日 07時15分11秒
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