カテゴリ:棚から牡丹餅でフランス語翻訳者
1996年 (8年目)
1月。早速、12月度の営業実績の検証です。売上・原価率・人件費・その他経費を計算しました。すると、原価率が高くて(約40%)赤字です。仕入れ等は前払いしていましたし、社保関係は、4半期ごとの支払いですから、支払いに困っているということはなかったのですが、実態に気が付かずにそのまま運営していると、そのうちに倒産するのは明らかな状況です。決算書を毎月作成していたお陰で助かったようなものです。「K社」に感謝しました! 早速、いろんなことを見直しました。作業は簡単です。全ての契約書・請求書・給与明細を眺めて、削れるところを探すのです。「経費削減」は身近な言葉でしたが、自分のこととなると真剣さが全く違いますね。 そして5月。それまで勤めていた「K社」を退職しました。「K社」の会長は怒っていましたが、社長が「うまくやれよ」と言ってくれました。深い言葉でした。 それまで、日本語を話すマダガスカル人の友人に接客やレジを任せていたのですが、彼には辞めてもらうしかありませんでした。残念ですが、仕方がありません。 約40席のレストランを、サービス1人(私)と調理1人で回転させるのですから大変でした。 ウケを狙って、「ゆかた」を着てサービスをしました。狙い通り、ウケました。「その着物、素敵ですね」と言われて、「これパジャマなんですよ」と答えると、またウケるのです。 「あなたは日本語を話せるのですか」って、よく訊かれました。フランスの田舎の実生活(7年)の中で覚えたフランス語を話していたわけですから、「この人はフランスで生まれたのだろう」「この人はフランスで義務教育を受けたのだろう」と思われていたようです。それでも・・・ ある日、お客さんが「週刊エクスプレス」を置いて帰りました。中を読むと、半分ぐらいしか分からないのです。そう、「会話」と「文章」は違うのです。 その後、「エクスプレス」の定期購読を始めました。会社として購入すると40%ぐらいの割引があったので、何となく申し込みました(笑)。それから2001年まで5年間、毎号欠かさず隅々まで読みました(フランスの雑誌には珍しく「左派よりでない」ところが気に入りました)。ここで蓄積されたものが今の財産の一部分になっていることは言うまでもありません。 つづく フランス語翻訳を生業にしています
最終更新日
2007年04月02日 12時22分04秒
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